四宮家の兄妹は頭が良い。
両親はいたって普通の高卒カップルだが、忙しい畜産と畑作という職業柄と、
子宝に恵まれたための教育方針が「放任主義」だったことから、子供達は勝手に勉強して勝手に優秀になっていった。
長女の柚、次男の明、三男の悠、は北海道大学、長男の勝は帯広畜産大学をそれぞれ優秀な成績で卒業した。
長女の柚は札幌の私立大学で講師、次男の明と三男の悠は江別市内の公立高校で教師をしている。
長男の勝は家業を継ぐため両親について修行中だが、青年部の部長も勤め、ご近所の評判もすこぶるいい。
末っ子の杏もまだ中学生ながら例に漏れず、優秀ぶりを発揮している。
それぞれ性格の違いはあれど、彼らは皆一様に努力家で、「秀才」という名をほしいままにしている。
その四宮兄妹の中で、四男の修だけは「秀才」ではなく、紛れもない「天才」であることは、本人のみぞ知る事実である。
修が自分の知能について意識したのは6歳の時だった。
あと1月と迫った小学校入学をわくわくしながらお下がりの教科書を読んでみると、あまりのくだらなさに愕然とした。
日常的に明や悠、高校生の勝の宿題まで遊び半分で見ていたから、小学校の勉強がここまで初歩的なものだとはまさか思っていなかった。
たまに悠の数学の宿題を一緒に解いて、ましてや正解して、家族にぎょっとされることがあった。
保育園で誕生日会。
四角く大きいケーキを37等分するのに、お絵かき帳に数式で正確な面積を出したものを先生に見せたら、褒められるどころか怒られた。
おさむくん、ふざけてないで早くケーキを食べてちょうだい!と。
それらがどういうことだったのか修は理解した。
自分にはどうやら、すでに最低でも中学卒業以上の学力はついているということ。
そしてそれは「普通」ではないとういこと。
家族のぎょっとする様子から、先生の怒った様子から。
これはあまり披露するべきものではない能力かもしれないという予測をし、対策を立てることにした。
入学前に教科書の内容を全て暗記し、自分でテストを作成して大体90~95点くらいの点数を取れるように。
そしてそれが怪しまれないように、ミスの傾向を統一することにした。
小学校に入学すると、その対策を早めにしておいて良かったと修は感じた。
90点でもかなり頭がいい部類に入ってしまったからだ。
ミスの傾向を統一したことにより、家族も、学校の先生も、修のことを
「勉強は出来るけど、凡ミスをついついしちゃうから100点は取れないおっちょこちょい」
と信じて疑わなかった。
計画は順調に軌道に乗り、うまく周りの人間が自分の思い通りにだまされていくのを見て満足する反面。
まだ幼かった修少年は少なからずショックを受けていた。
本当は、もっともっと勉強ができるのに。
本気を出せば、こんなもんじゃないのに。
しかし修は本当の自分を異質なものとして分類されるのが怖かった。
必死に自分を隠し、「優しくて頭のいい四宮家の四男」を演じた。
幸い、修はとても人の性格を見抜くのがうまかった。
各個人に対応する「いい子」をそれとなく見せていくことで、篠津界隈では評判の男の子になっていた。
そうしていくうちに鉄壁の笑顔が完成したのは、修がまだ小学2年生の頃だった。
もうその頃には「本当の自分」がなんなのか分からなくなっていた。
自分を「偽る」という行為は既に修の生活の一部になっていたため、特に疲れるということもなかったが、ふいに無性に寂しくなるときがあった。
そんな時、4つ下の妹である杏の存在は、修にとって大きな救いとなった。
自分を男の子だと信じて疑わず、何事にもただひたすら一生懸命に突っ走る妹。
全身で自分のことを「大好き」と示してくれる、幼いからこその正直さが、修の心にまっすぐ光を与えてくれた。
愛しい愛しい、妹。
シスコンと呼ばれても全く構わなかったが、そこは築きあげた人望で「優しいお兄ちゃん」と認識された。
見た目はとてもかわいらしい杏だったが、「キョウ」と言って弟のように扱った。
そのせいか、小学校にあがっても、杏は男の子の友達しか作らなかった。
しかし、加藤純一、山野康弘、桜井浩章の3人は、我が妹ながら流石に人を見る目がある、と修を感心させた。
3人はそれぞれに個性がしっかりと立っていて、頭も良く、何より全員杏に優しかった。
お姫様のように大事にされているのに全く気づかなかった杏は、後々色々と苦労することになったのだが、修は心配することなく見守った。
3人が3人とも、付き合いがなくなってもそれぞれのやり方で杏を守っていたからだ。
1人は不器用に彼女のヒーロー像をその身で示し続け、1人は傍らで一緒に歩む道をとった。
そしてもう1人は、絶対に気づかれない場所から、彼女を支え続けた。
きっと大丈夫、今までよりもっと繋がりは強くなるよ。
思っても口には出さなかった。出せなかった。
当時の杏に何を言っても無駄というのはあったが。
生まれて初めて、人に、しかも大好きな妹に嫉妬していた。
高校生活は今までの延長線上でしかなかった。
皆自分を信頼し、部活も適度にこなして、友達とも遊んで、なかなかかわいい彼女も出来て。
そしてその延長線はこれからもどんどんのびてゆき、修はその上を歩いていくだけ。
たまに虚しくはなるが、割と楽しい人生だ、と自分では思っていたのに。
杏は、自分とは正反対に、悩み、傷つき、少しずつ成長していくという、そのことが。
自分の体験できないことを思い切り経験していく妹が。
ひどく、羨ましかった。痛みが、生まれた。
だからこそ、修はしっかりと妹を見守ろうと決めた。
痛みであると同時に、杏は修の希望だったのだ。
自分では決して上がることの出来ない舞台。
自分のあきらめた世界に杏はいる。
せめてその舞台だけはしっかりとこの目に、胸に納めておこうと、修は決意していた。
だが、希望の光は思わぬ変化を修にまでも、もたらすこととなる。
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