若紫に、愛を込めて 2

修が高校2年の夏休みだった。

杏が中学に入学してから毎日話題に上る、「井上加奈」なる人物が四宮家に泊まるということで、妹は朝から家の大掃除をしていた。

修はその日はバスケ部の練習があったので、帰りは夕焼けがまぶしい時間になっていた。

北海道とはいえ、短い期間だが、8月上旬は夜も20度を下回ることがない。

その日もことさら暑く、夕方なのに、まだ26、7度くらいはありそうだった。

一年で最も暑い季節に一日中蒸し暑い体育館で走り回っていたため、疲労度はなかなかのものだ。

学校でシャワーを浴びたが、原付に乗るうちにまた汗をかいてきてしまった。

すれ違うご近所の方々に向ける、気持ちのよい笑顔。

原付の音がうるさく、何を言っているかはいつもわからない。

背中を伝っていく汗に不快感を感じながらも、完璧な笑顔を振りまきつつ。

修は、かわいいかわいい妹に新しく出来た友達に、思いを馳せていた。

 

中学に入学してから、杏は笑顔が多くなった。

その笑顔を引き出して、家にまでくる人物となると、あの3人以来だった。

杏の話だと、

「必要ならものすごく冷たい川でも平気な顔して飛び込むような、竹をすっぱり割った感じの子」

らしいが、妹の感覚は少し理解しにくく、流して聞いていたので、いまいち想像がつかない。

妹から女の子の友達を紹介されるのは当然初めてのことなので、修は自分が少なからず緊張しているのを自覚していた。

 

家の前に原付を置き、汗に濡れたTシャツをパタパタ仰ぎながら玄関を開ける。

女の子らしい薄い上品なピンクに、デイジーの飾り。

かわいらしさの中にも、きちんと女性を感じさせる、3cmほどのピンヒールのサンダルが目に入った。

妹の杏はいつもビーチサンダルを履くし、姉の柚は既に結婚して家を出ている。

まさか母親がこんなに若作りだとは思えないので、例の「井上加奈」のものであることは容易に想像がついた。

―中学1年生にしては大人っぽいな―

修の彼女は高校1年生だが、同じようなデザインのサンダルを履いている。

こんな田舎でここまで身だしなみに気を使う中学1年生は、修の周りにはいなかったはずだ。

玄関に腰を下ろし、ナイキのスニーカーを脱ぎながら、そんなことを考えていると。

「修兄、お帰り!」と、いつもより興奮気味の杏の声が聞こえた。

スニーカーを端に寄せて「うん、ただいま」と振り返ると。

愛しい妹と、隣にもう1人、修を玄関まで出迎えにきてくれていた人物がいた。

 

井上加奈は、杏よりコブシ1つ分以上背が低かった。

その時ですでに160cmだった杏と見比べても、修は井上加奈が中学1年生の平均より小さいのではないかと思った。

「ねえ、修兄、この子が加奈だよ!」

嬉しそうな杏の顔を見て、修も自然と笑顔になる。

「初めまして、杏の兄の修です。井上さんだよね?妹ともども、よろしくね」

絶対に失敗しない初対面の人間への笑顔を浮かべ、修は井上加奈に向き直った。

 

杏の話でなんとなく男っぽい印象を加奈に抱いていた修だったが、さっき見たサンダルといい、見事に裏切られていることを実感した。

体の造りは確かに小さくて華奢な印象だが、均整は綺麗にとれている。

これは将来絶対いい女になるな、と修は思った。

猫のような印象を受ける大きな瞳がそう思わせていた。

意志の強そうな、グイグイと人を引っ張っていく瞳。

その瞳が、探るように修を観察していた。

 

修の人徳には、自ら築き上げた性格とともに、その容姿も同じほど重要な関わりを持っている。

決して男前や、美男子という部類には入らないが、整っていて、清潔感のある、何より笑顔が似合う顔をしている修。

にっこりと笑うだけで、100パーセント相手の人間に好印象を与えるのだ。

特にその威力は初対面の人間に、より高い効果をもたらす。

しかし、今目の前にいる相手は違った。

思い切り訝しげな表情をしている。

「初めまして、井上加奈です。杏とは同じクラスです。今日はお世話になります」

これまた女の子らしい少し高めの声でペコリとお辞儀した加奈に。

「ゆっくりしていってね」と笑いかけようとした瞬間。

信じられない一言が突きつけられた。

 

「すいません、あたしあなたのこと好きになれません」

 

試されている。すぐに分かった。自分が試されるのは、初めてだったからだ。

正直、ここまで勘が鋭い人物は、江別市内見渡しても修は自分以外見たことがなかった。

しかも加奈はまだ中学1年生である。

頭の回転もこれからどんどん速くなりそうだ。

この一瞬で修の思惑を感じ取った上でカマをかける、その度胸。

感心するとともに、現れるはずのなかった、「自分」を見る存在の出現に、修はなんだか嬉しくて泣きそうになった。

 

きっと、今の加奈になら、修がそのままそ知らぬ顔をし続ければ、自分の読みが外れたと、思わせることも可能だろう。

しかし。

未だかつてこんなに面白いゲームがあっただろうか。

年を重ねるごとに暴かれていく自分を見てみたくなった。

自分を暴くのは、加奈がいいと思った。

加奈に、暴かれてみたいと。

そして、愛しの妹と同じく、いや、妹以上に。

加奈がどんな女性に育つのか、そばで見守りたくなってしまった。

「竹をすっぱり割った感じの子」とはよく言ったものだ。やはり我が妹君は人を見る目があるな、とほくそ笑む。

「俺は井上さんにすんごい興味があるよ?」こう言ってにっこり笑えばきっと加奈は確信して自分を毛嫌いし続けるだろう。

 

いいさ、長期戦は得意だしね。

希望が、1つ、増えて。

道が、いくつかに分かれ始めたのが、分かった。

 

 

四宮家の兄妹はもてる。

両親はいたって普通の容姿だが、それぞれのいいパーツを絶妙の比率で受け継いだ子供達は、

美男美女とはいかないものの、それなりに整って愛嬌のある顔立ちをしており。

こちらは確実に両親の血を受け継いだと思われる、サバサバとした人情味溢れる性格で、全員異性との付き合いに苦労したことはない。

長女の柚は北海道大学の教授に見初められ、すでに1児の母である。

次男の明、三男の悠も、それぞれ美人とまではいかないが、人当たりの良い女性と付き合っている。

長男の勝は長年付き合っていた隣町にある畑作農家の次女と、来年2月に結婚することが決まっている。

気立てがよく、両親とも杏とも仲がいいので安心だ。

末っ子の杏もまだ中学生だが…ニャムニャムニャム

それぞれ差はあれども、皆一様に、平凡だがまっとうな幸せを掴む。

 

その四宮兄妹の中で、一番もてる四男の修だけが「まっとう」でないことは、本人のみぞ知る事実であった。

ほんの1時間程前までは。

 

春の日差しが柔らかく差し込む桜並木を、ゆっくり歩きながら。

いつもの殺人的笑顔でつぶやいたのは、四宮修その人だった。

「つーいに手ぇだしちまったわぁ。シスコンの上にロリコンって、すごいね俺も」

低く出されたその台詞は、果たして上辺なのか本音なのか。

 

ゆっくり歩をすすめる足。

いつもと変わらない笑顔。

微かに震えるポケットの中の握りこぶし。

 

ただそこに見えているというだけの、事実。

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