タバコの灰を落として、ラジオをつける。
いつもつけているFM82.5のノースウェーブ。
タックハーシーというDJが喋くりたおしている。
明らかに苗字が高橋なんだろうと想像できる安易さがいいのだろうか。
北海道ではそれなりに有名だ。
夕方くらいから夜まで、ラジオをつければ聞こえるのは大抵このDJの声。
月一押しのアーティストを紹介する「パワーノース」とかいう企画で、聞いたこともないR&Bのグループをべた褒めしていた。
歌だけでなく、ダンスもものすごくうまいと、ラジオで伝えられないのが悔しいと言っている。
「したらテレビで流せばいいべや~。ラジオの良さ皆無でないですか。高橋さん、あなたDJなんでしょう?音楽のこと、知りつく
してるんでしょう?したら、もっとこの僕のディープなソウルを揺さぶるくらいの紹介をね?してもらわなくっちゃあいけませんよ」
修学旅行前に教頭に言われて剃ったあごをさすりながら、そうラジオに話しかける。
洋楽のことはよく分からない。
というか、音楽に興味がない。さっぱり良さが分からない。
ただこのDJの話が妙に突っ込みを入れたくなるので聞いているだけ。
ラジオと喋りたいだけ。
佳美によく言われていた。
なんで私がいるのにラジオと喋るのよ、と。
しかしそんな事を言っていた奴も、もう助手席に座ることはない。
1人の空間に、響いているのはもちろん自分の声だけ。
すっかり日が暮れ、対向車も少ない道を、ハイビームでひた走る。
江別から札幌は、大体15キロほど。 車だと1時間もかからずに着いてしまう。
実際自分は大麻に住んでいるのだから、お隣の白石や厚別くらいであれば、ものの30分程度で到着するのだ。
でも今日は違う。 すすきので約束があった。 大学時代の知り合いと、すすきので飲もうということになっていた。
札幌の中心部に行くのは久しぶりだ。
丁度、修学旅行帰りで明日は休日。
ぐでんぐでんになっていくら酒くさい息をばらまいても、誰に何を言われるわけでもない。生徒や上司に会うこともない。
思い切り飲めるのが嬉しかった。
豊水すすきの駅近くのパーキングに車を入れる。
本当は車は置いて来たかったのだが、職員室で事務処理をやっていたら電車では間に合わない時間になっていた。
後で太田に車ごと迎えに来てもらえばいい。
親友の家は中島公園。すすきのには歩いて15分ほどの距離。
今日は平日で、真面目な太田のことだから、恐らく夜遅くまで仕事をしているのだろう。
向こうの予定などお構いなしに押しかける自分は、きっと文句をたくさん言われるだろう。
それでもなんだかんだ言いながら、太田はいつも自分を泊めてくれていた。どんなに急に、強引に押しかけても。
昔から憧れ続け、2年前の7月に中古だがやっと手に入れたランドクルーザー。
田舎を走る時には最高だが、こういう場所に来ると小回りがどうもうまくきかない。
決して自分の運転が下手なわけではないと言い訳しながら運転席のドアを開ける。
江別より、札幌のほうが温かい気がした。羽織ったジャケットは、必要なかったかもしれない。
待ち合わせは、油そばが有名な、老舗のビアホール。
大学の時は飲み会の〆によく来ていた。よく油そばを食べていた。
卒業してもう6年が経つ。もしかしたらもう潰れているかもしてないと思ったが、どうやら人気は根強いようだ。
古ぼけた入り口をくぐり、辺りを見回す。
相変わらず各国入り乱れている店内に、こちらに向かって大きく手を振っている人物を発見する。
石井菜穂子。
大学の同期。同じゼミ、同じサークルだった女。
実家が釧路でUターン就職した石井菜穂子とは、年賀状のやり取り程度しかしていない。
実際どちらもマメな方ではないから、卒業以来疎遠になっていた。
ハイネケンのラベルが張ってある瓶。横にあるグラスはすでに半分近く空になっていた。
真ん中にある4人がけの丸テーブルに近づき、少し迷って向かい側の椅子を引く。
ジャケットを二つに折って椅子の席にかけると同時に、目に付いた店員にサッポロクラッシック、と注文する。
満足して腰を下ろすと、目の前の女はこぶしを口に当てながら笑っていた。
ぶくくく、と。
「いやあ、山崎変わってなさすぎてまじうけるんですけど」
そういう石井菜穂子も変わっていなかった。
髪型や化粧はそれなりに年相応にしていたが、雰囲気が変わっていなかった。
勝気そうな大きい目に、大きな口。
6年前より痩せて見えるのは、きっともうスポーツをそこまでやっていないからだろう。
テニスをやっていた頃は、もっと筋肉質だった気がする。
大学生の時と変わらず、細身のパンツスタイル。 あの頃はジーンズばかりだった。
今は質のいいパンツスーツに変わっているが、印象が変わることはない。
良く似合っていた。
「いやいやいやいや~、なんも石井も変わってないんでしょ。卒業以来なのにねえ?老けないんだねえ?もういい年なの
にねえ?」
まくし立てるとがつっとスネを蹴られ、思わず声を上げてしまう。
「ほらほら、こういうところ!こういう凶暴なところ、全く変わってないんですもん」
「うっるさいなあもう!久しぶりに会ったんだからさ、綺麗になったとか言えって」
本当に、相変わらず口も態度も悪い女だ。
学生時代にはよく殴られていた。
なまじスポーツなんかやっている女のパンチは性質が悪い。
男と違ってセーブを知らない。
よく、本気で殴られていた。
「いやいや、綺麗になりましたよ?ほんとほんと。もう、そりゃあもうね、すごいもんですわ」
「うわあ、来たよ~山崎のそのザ・適当な物言い!ほんっと変わってないし!」
「あのねえ石井さん。お声が大きくなっちゃってますよ?いいから、僕はザ・適当人間でいいですから、もう少しお静かに
ね?」
「はいはいはいはい!やだね~!保護者ぶっちゃってさ!」
「だって先生なんですもん、僕。か~わいいかわいい中学生とキラッキラした毎日を過ごしているんですもん」
ジョッキを受け取り、乾杯をしながら、胸を張ってみせる。
半分まで一気に飲む。やはりビールは一口目が1番旨い。
「そうなんだよねえ。山崎が教師とか、日本の義務教育は果たして大丈夫なんだろうかと心配になっちゃうよねえ」
「いやいやいやいや、石井が先生になるよりかはよっぽどましだと思いますよ?」
ギラっと睨んだあと、すぐに豪快な笑いに変わるところも、菜穂子は変わっていなかった。
「確かに!あたしもあたしみたいな教師なんてマッピラだわ!」
良く変わる表情に、大きな動き。
馬鹿みたいにでかい声で喋るものだから、隣の席の外人がチラチラこちらを見る。
そのたびに軽く会釈をする。お互いに、苦笑い。
それでも菜穂子は構わずに笑い続ける。
本当に、面倒くさい女。
面倒くさいと思いながら、なぜ自分は菜穂子のことをずっと想っていたのだろうか。
なぜ、この女のことをずっと忘れられなかったのだろうか。
「それで?札幌のどこに住むか決まったんですか、石井先生は?」
ゴールデンウィークに葉書が来ていた。
”転職で札幌に住むことになりました。15日の夜7時 米風亭で”
とだけ書かれた葉書が。
全く横暴極まりないが、来てしまう自分も自分だ。
丁度修学旅行の最終日と重なっていたから良かったものの、危うく来られないところだった。
もし自分が来なかったら、菜穂子はここで、ずっと1人で飲んでいたのだろうか。
「ん~。北大の近くにいいのがあったから、今日契約してきた。即入居可能なやつね」
先に頼んでおいたのだろう。
店員が持ってきたジャンバラヤを、取り分けることなく直接貪りながら説明する菜穂子。
「あらまあ!まった色々とお決めになるのが早いもんですこと!流石は石井先生ですわ」
菜穂子は昔から即決断、即行動をモットーとしていた。
「したっていい物件だったんだもん。入るのは明後日だから、今日明日は篠田の家に泊まらしてもらうんだわ」
佳美の名前がでたことで一瞬止まってしまった体を、不自然にならないようにゆっくりと動かし、ビールを飲む。
菜穂子には言っていない。
卒業後、佳美と付き合ったことも。
1年以上前に別れたことも。