脱衣所は、時間も昼近かったせいか、人もまばらだった。
木の枠に、シャワーカーテンがひかれているだけの簡素なスペース。
隣に入った加奈の方から、ガサゴソと音が聞こえる。
もう着替えているのだろう。
少し見上げると、壁にくっついている、錆びたシャワーヘッド。
ぴちゃん、ぴちゃん、と、水が漏れている。
そばにあったノズルを回して硬く閉めても、漏れがおさまることはない。
ノズルから手を離し、顔を近づければ、鉄の錆びた匂い。
「杏?ちゃんと着替えてる?」
くぐもった空間に、涼やかに響く加奈の声。
「あ、うん、これから。水漏れが気になって」
いくら考えても迷っても、もう海に来てしまっているのだから、悪あがきしても無駄なのに。
なんだかんだと言い訳を見つけてしまう。
空気が揺れるのがなんとなく分かる。笑っているのだろうか。
「あたし、もうすぐ終わるからね?杏も急いでよ?」
シャワーカーテンをひらいて通路で待っていた加奈のもとへ行くと、こちらと同じ半そでのパーカー姿。
普段パーカー姿を目にすることがないだけに、愛らしい姿に自然と笑ってしまう。
「そんなに似合わない?」
笑われている本人も、機嫌を悪くすることもなく、笑いかけてくる。
首をふり、「似合ってるのが意外でなんか面白い」と言うと、相手の笑みはさらに深くなった。
「さ、早く行かないとね」
肩口に添えられた手は、柔らかく、温かい。
それはまるで、頑張れ、と言われているようで。
去年の夏は、二人で買い物に行ったり、宿題をお互いの家で行うくらいだった。
遠出をすることなどなかった。
それはそれで楽しかったけれど、やはり心のどこかで思っていた。
一緒ならもっと楽しいのに、と。
彼らのことを、いつもどこかで考えていた。
きっと加奈は、ずっと、出会ったときからずっと、感じていて、何も言わずにいてくれたのだろう。
こういうふとした瞬間に、目の前にいる親友の優しさを感じ、泣きたくなる。
だから、まったく予期しない方向からの展開に反応できなかった。
浜辺へと歩く途中、突然の加奈の告白を理解できなかった。
晴天の霹靂といえばいいのだろうか。
晴れ渡った海辺からの温かい、潮の匂いを含んだ風が気持ちいい。
人の声があちらこちらから聞こえてくる。
その中に、純ちゃんや渡辺君の声も混じっていたかもしれない。
おそらく私たちを呼んでいたのだろう。
ただ、そのときの私は、いくら純ちゃんの声でも認識できなかった。
馬鹿みたいに突っ立って、目の前の友人を見ていた。
馬鹿みたいに口を開けて、不機嫌そうに顔をそらしている、その人を見ていた。
あたしね、あの人のこと好きみたい。
ちら、と向けられた視線を驚いて追ってみて、停止寸前だった私の脳は完全に壊れてしまった。
視線の先に、「PENGUIN`S BAR」と書かれたオレンジ色のエプロンを見つけてしまったのだから。
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