2年生-秋-4

書きかけのパンフレットがばさばさと机の下に落ちている。疲れてるのかどうやら寝ているようだ。

左手には、シャープペンシル。書きかけの書類が、頭の下にあった。

床に落ちているパンフレットの原稿を拾い上げ、起こさないようにそっと机の上に置く。

しかし、調子が悪いのも手伝って、肘が山積みの書類に当たってしまった。

バサバサと大きな音をたてて落ちていく書類。

むくっと動く、ぼさぼさの頭。

結局、やっちょを起こしてしまう羽目になった。

 

「…やべ…寝てた…」

もともとの苦手意識と起こしてしまった罪悪感で最高潮な気まずさを覚えながら私は言った。

「あ、ごめん起こしちゃった。パンフの原稿が落ちてて…」

「今何時?」

 

そうだ、こいつはこういうやつだった。

ぶっきらぼうで愛想のかけらもない。

人との調和というものを気にすることがない、いわゆる「変人」だった。

この性格は昔から同じだ。

 

3年ぶりの会話も、何も感慨などない。

「えっと…7時半過ぎだけど…」

仕方なく、腕時計で時間を確認する。

黒いエナメルのバンドに、文字盤はこげ茶。シンプルで華奢なデザインの時計は、今一番のお気に入りだ。

中学生がつけるには少し大人っぽいそれは今年大学受験を控える兄が誕生日に買ってくれたものだ。

 

ふと、視線を感じた。

「…」

何故か彼は不機嫌そうな顔で私をじっと見ていた。

「…え…何…?」

睨まれているようで、硬直してしまう。じりじりと後ずさりで自分の席へ行こうとした時。

  

「…なんでもない。サンキュ」

そう言って立ち上がった彼は、そのまま教室を出て行った。

「やべえな今日はまじ寒い!それはすなわちもうすぐ雪が降るということだ!

それはすなわち雪合戦大会を企画しろという神の声なんだぞ浩明!わかるか?」

「まだ文化祭も終わってないのに?全然わかんないよ純ちゃん…。あ、キョウちゃんおはよう!あれ、どうしたの?」

純ちゃんとひろくんが、勢いよく教室に入ってきた。

教室の真ん中で突っ立っていた私に集まる4本の視線。

 

「え、いや全然なんでもないよ!おはよう!今日寒くてさ!暖房ついててぼーっとしちゃった!」

「それならいいけど、大事な時期だから気をつけてね~。ねえ純ちゃん?」

「おう」下に目線が固定された純ちゃん。

 

「うんありがとう」

「もうすぐ文化祭だもんねっ!」ひろくんが、えいえいおーをしながら言った。

「そうだ文化祭だった!それを早く言え!」

ぎゃあぎゃあと、ひろくんと純ちゃんの掛け合いが始まる。

 

うまくごまかせたのかどうか。とりあえず自分の定位置についた。

 

「お前ら何で朝からそんな元気なんだよ…」ここぞとばかりにやる気のない顔で、やっちょが戻ってきた。

「おぅヤス来てたのか!今日はマジ寒い!それはすなわちもうすぐ雪が降るということだ!

それはすなわち雪合戦大会を企画しろという神の声なんだぞ!わかるだろ!」

「さっぱりわかんねぇし、文化祭だろまず。けど寒いことだけは確かだな。便所で凍死するかと思った」

「うん僕もオニューの手袋おろしたんだっ」

嬉しそうにひろくんがアイボリーの手編み風手袋を見せてきた。

「男の手袋は軍手と相場が決まってるんだ!こんなもの捨てろ!」

純ちゃんの手によって、見事にゴミ箱に放り込まれた、かわいそうな、手編み風手袋。

「えーん」

ひろくんが泣きながらゴミ箱へ駆け寄る。

 

「それより浩明なんか温かいもんない?寒くて死にそう」

「ぐす…お母さんがお茶と牛乳持たしてくれたから給湯室で温めてくるね。純ちゃんはいじめたからただの水!」

 

プンっとそっぽを向きながらのひろくんに対し、純ちゃんは腕組をしたまま。

「覚悟は出来てるんだろうなあ浩明?」

言った瞬間、ひろくんを追いかけていた。

 

「わわわわごめんなさいごめんなさい!キョウちゃんも飲む?」純ちゃんから逃げまどいながらひろくんが私に声をかけた。

「え?ああうんもらおうかな。手伝うよ。」笑いを必死に堪えばがら、応える。

「わあありがとう!流石女の子!(ひそっ)気の使い方が他のがさつな二人とは違うよね」

「おい聞こえてんぞ浩明!さっさと給湯室行きやがれ!」

「あわわわ…殴られる前に行こうキョウちゃん!」

手を引っ張られ、足早に視聴覚室を後にした。

 

「あのやろう調子に乗りやがって… ? ヤス?どうした?」

「…別に…」

「…お前寒さでやられたか?」

「…お前にだけは言われたくないって思えるほどには正気だよ」

「てめえ、人が折角心配してやっているというのに!」

「だから、何で朝からそんなに元気なんだよ。うっさいから黙っとけ」

「お前が爺くさすぎるんだよ!俺はいたって普通だ!」

「あ~寒い。寒い寒い」

「寒くて結構!雪が降るからな!」

 

生理痛には温かい飲み物がきくし、なによりあの場を離れたかった私は喜んでひろくんを手伝った。

「ええと、純ちゃんとやっちょはお茶で、僕とキョウちゃんはホットミルクっと!僕はそしたらお茶とミルクあっためるね」

「じゃあ私はカップの準備をするね」

戸棚から、カップを4つ取りだす。

普段は先生しか使えないこの給湯室も、純ちゃんが山崎先生と何か秘密の取引をしたようで、

文化祭期間中だけは、三役が自由に使っていいということになっていた。

 

「うんありがとう!ねえキョウちゃんの髪型今日かわいいね!すごく似合ってるよ!」

「ありがとう」

「うふふ」

ニコニコニコニコ、恵比寿様のような笑顔が絶えないひろくん。今日はすこぶる機嫌がいいようだ。

「…なに、どうかしたの?」

「なんかさ、僕好きな人できちゃった」

「…それ、毎回言ってない?」

「今回は本気の本気なんだよぅ!いつもと違って何だか胸が締められる感じ、これは絶対恋なんだって分かるんだよ」

「へえ、病気じゃないの?大丈夫?」

「…キョウちゃんってさ、女の子のくせに疎すぎだよね。天然っていうのかな。キュウってココが痛くなる感じとかしたことないの?」

そういってひろくんは心臓を両手で覆った。

「ん~、多分ないと思う」

「もうっ!昔は純ちゃんのこと好きだと思ってたのになぁ」

しみじみ言いながら、ホットミルクをカップに注ぐひろくん。

「え~何で?」

「だっていつも純ちゃん純ちゃんって言ってたでしょ」

「それはひろくんも一緒でしょ。純ちゃんは宇宙大王様なんだからさ」

「うわあ、それ、すごい懐かしいねえ。キョウちゃんよく覚えてるねっ」

「で、今回はどこの誰を好きになったの?」

ミルクパンを洗いながら聞いてみる。少し底が焦げ付いてしまっていた。

「うふふ、秘密なのです」

注いだお茶が、カップから逸れて、少しこぼれた。

「何それ?」

「うん、ちょっと今回は自分でしばらく頑張ってみようと思って。よし。行こっか」

「あ、うん」

初めてのことだった。

いつも誰がかわいいとか優しいとか散々言って、すぐ告白して振られて泣いてはまた次の女の子に夢中になっていたのに、

今回はあまりはしゃがない。

何より私の協力を必要としないのが本気なんだと感じさせた。

 

恋かあ。

つぶやきながら給湯室を出る。

生理痛と貧血で意識が朦朧とする中、ふらふらとひろくんの後を追った。

 

 

朝の仕事を一段落させ、それぞれの教室に戻る時間になると、私の体調はさらに悪化していた。

一旦座ってしまうとなかなか立ち上がれないので、三人を見送ってから視聴覚室を出ることにしたのだが、

一人きりになると張っていた気が途端に抜け、激しい痛みと貧血で私はその場にうずくまってしまった。

 

そこまで辛くない人もいると、保健の先生は言っていた。

 

これは、体質だからしょうがないのよ、と。

 

しょうがないで全て片付けられるのなら、警察はいらないだろうに。

考えてもしょうがないことが頭をめぐる。

頭が段々重くなってきた。いつもの貧血だ。

こうなるとしばらくは意識を失ってしまう。

私はホームルームと1限の授業をあきらめる覚悟をして、貧血特有の脱力感に身をまかせていた。

 

どれくらいそうしていただろう。

 

おもむろに空気が揺れるのを感じて顔を少し上げると、誰かがいた。

 

「…誰?」

くらくらする頭で必死に問いかけるも、返事はない。

 

その誰かはゆっくりこちらに向かってきた。

確認しようとしても、頭が持ち上がってくれない。

 

「なんで無理するかな」

 

言いながら私をそっと抱き上げたその手と腕は、驚くほど優しく私を包みこむ。

 

ゆらゆらと、ストーブの熱気。温かかった。

ほっとしたのか、私は抱きかかえられた状態で完全に意識を失ってしまった。

 

何故か、あのときの、森の匂いを思い出していた。

 

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