2年生-秋-5

 

ゆらゆら、ふわふわ。

目を閉じているのに、視界が揺れている気がする。

眉間の辺りがなんだか気持ち悪くなって、目を開ける。

 

一斉に聞こえてくる、セミの声と、車輪の音。

 

汗をかいていた。

 

今は確か秋ではないだろうか。しかも、もうすぐ初雪の時期だったはずだ。

 

顔が濡れていたので、手でぬぐう。

その手が、明らかに小さい。

 

視線を前にずらすと、薄青の背中。

所々、汗が滲んでいる

香る森の匂い。


ああ、そうか。

夢を見ていると、分かった。

 

顔が濡れていたのは、汗だけではなく、泣いていたせいだ。

 

急に鮮やかによみがえる、記憶。

 

江別に戻って座席から立ち上がると、私が座っていた部分と半ズボンの後ろに血がついていた。

 

「キョ、キョウちゃん!大丈夫!?怪我したの!?」

いち早く気づいたひろくん。

 

ヤス!!チャリだ!!

 

純ちゃんが大声をあげた。

 

ダッと走り出したやっちょ。

 

もう死んでしまうのだと思った私は、お腹が痛いのも手伝って泣き出してしまった。

 

普段、負けん気が強くて、一度も泣いたことがなかった私の涙に。

 キョウちゃんが死んじゃう~!

つられてひろくんも泣き出した。

 

泣くな!これくらいで死ぬかよ!!

叫びながら、純ちゃんは素早く駅の入り口へと私たちを誘導する。

 

外にでると、ぶわっと熱気がまとわりついた。

 

四宮!

 

呼ばれて顔を上げると、肩で息をしたやっちょが、自転車にまたがっていた。

 

「乗れ」

純ちゃんに荷台へ連れて行かれ。

動き出す、自転車。

 

振り返ると、わんわん泣いているひろくんと

じっと見送る純ちゃんの両手。握りこぶしが、白くなっていた

 

 

何も言わず、やっちょはただただ、自転車をこぐ

 

薄青のTシャツは、もうほとんど汗で群青色になっていた。

 

立ちこぎし始めたやっちょ。

 

森の匂いが、一気に強くなった。

やっちょの、匂い。

 

くらくらするのは、貧血のせいか、暑さのせいか。

熱い、熱い荷台は、ゴゴゴと、微妙な振動を伝えた。

 

 

家に着くと、私が「初潮」を迎えたことを、母親によって知らされた。

 

 遅れて純ちゃん達が来てくれても、私は会うことが出来なかった。

 

もう、会えないと、思った。

 

男の子になりたかった私。

立ちションも練習したのに、うまくいかなかった。

 

キョウはね、女の子なんだよ。

 

一番年の近い修兄に、そう優しく諭されても、女の子は、立ちションができないだけだと思っていた。

学校で、銭湯で、プールで。女子と男子に分けられるのが不服だった。

 

何も違わないと、思っていた。

 

入った亀裂に、為す術もなく。

深いか浅いかも分からないその亀裂を。越える勇気も、見る勇気すらも、私にはなかった。

 

 

 

独特の消毒液の匂いに刺激され、目を開けると、真っ白な天井が見えた。

 

右に視線をずらすと、心配そうに覗き込んでいる加奈と目が合った。

「杏!大丈夫?」

「あ…れ?」

「もう馬鹿!ホント馬鹿!心配したんだから!」

「あ…ごめ…」

「教室にいないと思って探したのよ!菊池先生に保健室で寝てるって聞いて慌てて来たんだからね!」

菊地先生とは私達のクラスの担任だ。

 

「職員会議が終わって保健室に帰ってきたらあなたが寝てるからびっくりしたわよ」

保健室の癒しおばさん先生が、仕切り用のカーテンのすき間から顔を出した

 

「あ、飯山先生、すいませんでした」

起き上がろうとして、頭がふらつく。

「あ、まだ寝てなさい。顔が真っ青よ」

「はい…でもどうして私ここに…」

「自分で来たんじゃないの?これ、置いてあったわよ」

飯山先生が持っていた小さい紙に、「具合が悪いので休ませてください 四宮」と、私の字で書いてあった。

紙は、メモ用にときってまとめた、三役会議で使った資料の裏紙だった。

 

「もう、どうせ今日二日目なんでしょ!いくら忙しいからって無理したらこうなることくらい分からないの?

ほんっと!杏って肝心なとこ抜けてるんだから!」

そんなことどうでもいいという感じで、加奈が割り込んできた。明らかに怒っている。

 

「ほんと、心配かけてごめん。自分でも馬鹿だったなって思う。今日はもう帰るからさ」

「当たり前よ。強制送還だから」

「まあまあ。それじゃあご両親に連絡するから迎えにきてもらいましょうね、四宮さん。菊池先生には私から伝えておくわ」

「あ、ありがとうございます…」

「加藤君とかには私から伝えておくから」

「うんありがとう加奈」

 

タイミング良くホームルームの終了を告げるチャイムが鳴り、ひろくんが駆け込んできた。

「キョキョキョウちゃんやっぱり具合悪かったの!?今二組に行ったら菊池先生がここにいるって…」

慌てすぎたのか、咳き込むひろくん。

「あ、ひろくん。心配かけてごめんね。今日なんだけど早退させてもらってもいいかな?」

「そんなの全然大丈夫だよ!キョウちゃんの仕事は僕が引き継ぐから!それより本当に大丈夫?風邪?」

 

「ちょっと桜井君、デリカシーがないわよ」腕組をしながら威圧的に言い放つ加奈。

「え?…?……あ!」どうやらピンときたらしく、顔を真っ赤にしたひろくんに、気まずくなる。目線をカーテンに移した。

無駄に白い。ベッドもシーツも壁も。

 

「ごごごごごめん!こここっちは大丈夫だから今日はゆっくり休みなよ!」

私を気遣うひろくん。

「ほんとにごめんね」

なかなか顔を向けられない私。

「もう謝らないでよぅ。キョウちゃんはずっと頑張ってきたんだから、神様がお休みをくれたんだよ。

まだ文化祭まで二週間あるし、今日くらい休んでもばちはあたらないよぅ」

「発言は大分さむいけど、桜井君の言うとおりよ杏。今日はゆっくり休みなさい。また倒れられても迷惑なんだから」

ひろくんのストレートな優しさと、加奈独特の天邪鬼な言い回しがなんだか嬉しくなる。

「うん、二人ともありがとうね」

 

私が帰った後、加奈手には小さな紙切れ。

 

「ふうん」

そういうことね。

 

訳知り顔につぶやいた加奈とは対照的に。

私は、誰かに抱きかかえられるという、恥ずかしい妄想をした自分へのダメだしを、ただひたすら布団の中で行っていた

 

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