「すごい。私やっちょと話してるね」
会話が成り立っているわけではなかったが、それでも私にとっては一大事だった。
「苦手だったんだ、やっちょのこと。ずっとさ。いや、嫌いとかじゃなくてさ。じゃなきゃあんなに一緒にはいなかったし。なんかさ、話しかけづらかったんだ。中学に入ったら、余計苦手になっちゃってた。態度、悪くてごめんね」
独り言のように、私は、ぽつり、ぽつりと、話していた。
「別に」
ぼててっ。
くるみの実が、2つ続けて落ちた。
「俺のことは、いいけど」
純一、どうすんの。
随分と遅れて飛び出した言葉の続き。
純ちゃんの名前が出されて、体が少し固まる。
やっちょには、私が視聴覚室の前で踏みとどまっていた理由が、分かっているようだった。
何て言ったらいいのか分からず、口をつぐむ。
「…何で純一が三役にお前を選んだか考えたことあるか」 聞かれていることの意味がよく分からなかった。
この人は、何かにつけて唐突だ。
「加奈が言ってた。古い体制をぶち壊すための起爆剤としてじゃないの?」
「本当にそう思ってんの」
「違うの?」
そう言ってやっちょの方を見る。うつむき、ポケットに手を突っ込んでいる格好のまま。
別に、と、また。今度はどういう意味なのか。
「何それ」
たまらず聞くと、
「それは純一に聞けば」
それより寒くねえの。
すっきりしない上に、話も逸らされてしまう。
視線をくるみの木に戻す。昔はタバコの煙だとはしゃいでいた、白い息。確かに、寒かった。
「…自分で連れてきたくせに」
「…じゃあこれ着てろ」
ジジジと、ジッパーの音が、滑らかに響く。
ぼさっと、頭の上に、さっきまでやっちょが着ていたパーカが落ちてきた。
森の匂いがした。変わらない、やっちょの匂い。懐かしい、匂い。
「あ、ありがと。でもやっちょが寒いんじゃ…」
「連れてきたの、俺なんだろ」
また、口の端が上がっていた。
ぶかぶかのパーカ。袖を折らないと、手が出ない。裾は膝近くまで来ていた。
ああ、男の子だ、と思った。
私とこの人は全然違う生き物なんだと。今さらながら。
やっちょのことが苦手だったのは、
嫉妬という感情を持っていたことに、気づく。
思い出す。叫んだ純ちゃんに反応して、即座に走り出したやっちょ。
自分が、走り出したかった。守ってもらうのではなく、守る側に、いきたかった。
「そういうことだったんだ。」
「…何」
「私はやっちょになりたかったんだ。だから苦手だったんだよ」
「は?」
「私はやっちょみたいに純ちゃんの隣にいたかったの」
「…あ、そう」
「やっちょが立っている場所で、物をみてみたかったんだな。そんな男の子に、なりたかったんだ」
実がまた1つ落ちる。ガササ。枯葉の上へダイブしたことで、乾いた音をたてた。
「なれないけど」
当たり前のことを、至極真面目に、やっちょは言う。
「…知ってるよ、そんなことは」
だから悩んでいるんじゃないかと。
別に。
また言われた。きっと、意味はないんだろう。次の言葉へ続くための接続詞のようなものかもしれない。
「男だろうが女だろうが、四宮は四宮でいいだろ」
でも、世界には。男と、女しかいないのに。
「女の子じゃだめなんだよ。あの場所は。男の子になりきれなかった、宙ぶらりんな私がいていい場所じゃないんだ」
「…言っとくけど、お前を男だと思ってつるんでた奴なんて、いないぞ」
「…は?なにそれ」
「考えてみろ。純一は男にはすぐ殴りかかってたけどお前には何もしなかったろ」
ぐるぐると、辿った記憶の中、純ちゃんが殴っていたのは、確かにいつも私以外の男の子。
「浩明はもろだったな。よくお前に女の嗜みがどうのこうの言ってたし。
お前が男だったらそんなこと言うか」
未だにそれは言われ続けている。
「それでもつるんでたのは男の四宮だからじゃなくて、女だけど四宮だったからって考え方の方が、しっくりくる」
まあ。俺がだけど。
そんなことを、考える人だったろうか。ぼやけてよく思い出せない、昔のやっちょ。
「今のお前を純一は三役にした。今分かる全てだ。それ以外、あいつの気持ちはあいつじゃなきゃ分からない。お前の気持ちもお前しか分からない。
言ってみなけりゃ、聞いてみなけりゃ分からない。案外、簡単だ」
こんなに沢山、しかも順序だてて話すやっちょは見たことがなかった。
やる気はなさそうだけれど。 パーカから漂う森の香りが、私を包む。この人を、初めてちゃんと見た気がした。
「…私は、中途半端なままだけど」
「皆ガキなんだからそうだろ」
「だからそれは…」言いかけた言葉はチラリと向けられた視線に吸い込まれていく。
「同じことだと思うけど」
「虫が、良すぎないかな」
だから躊躇してしまう。
「もっと、あいつみたいに単純に考えてみれば」
思い浮かぶのは、ただ一つのこと。
「しがみつきたいのは、過去か?」 今、四宮はどうしたい。
ゆっくりと、心にしみこんで来る言葉。
いいか、おれたちは、ずっと、なかまだ。わすれるな。
そう言った、幼い純ちゃん。頷いた、私たち。
子ども同士の。他愛ない、おままごとのようなものでも。忘れるなんて出来ない、約束。
形を変えて、今もそこにあるなら。
私が決して見ようとしなかった亀裂は、今、どうなっているのだろうか。
「私、怖がりだったね」
逃げながら、皆から話しかけてもらうのを密かに期待していた。
自分から前に進まなければ、見えない世界だったのに。
「なら、行くぞ」
気づくとやっちょは立ち上がっていた。
「え?」
「やることは一つだろ。逃げるな」
正直怖いという気持ちはまだ残っている。
でもここで動かなかったら、きっと私は一生後悔する。
やっちょの言うとおりだ。もう逃げたくはない。
もしもだめだったとしても、しょうがない。
これが私の「四宮杏」としての本当の意味での第一歩なのだから。
筋を、通さなければ。
「分かった」
そして、私は視聴覚室に向かって歩き出す。
自分の意志で、歩き出すのだ。
「あ~さむ」 これでもかとポッケに手を突っ込みながら歩く隣の人。
「あ、ごめん返す」
「着とけ。鼻水凍ってるし」
「え、嘘!?」
それは、かなり恥ずかしい。顔をばっと両手で隠す。
「嘘」
「…」
夕日に染まる、グラウンド。明日もきっと、晴れる。
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