2年生-秋-10

ガラっと視聴覚室の扉が開いた。

「お~い、そろそろ準備って…ありゃ、なんだか取り込み中かい?オイラお邪魔かしら?」

渡辺君だった。

開けた扉の隙間から、少し困ったような笑顔で覗き込んでいた。

 

そういえば。

思い出したようにひろくんが言った。

「リサイタルやるんやるんだったよね、純ちゃん」

そうだ、リサイタルだ!」やっぱり忘れていたのか、叫びだす純ちゃん。

おいおいおいおい、忘れてたとかないっしょや~」

二ヘラと、苦笑しながら教室に入ってくる渡辺君。

目が合う。

「あぁあぁ、そういうことね。四宮ちゃあん、良かったねえ?良かったんでしょう?はずしてないっしょ?」

まるで全て見てきたかのように。

涙をぬぐいながら、苦笑するしかない、私。

「うん、そうかそうか。いやいや、なあんか、いい感じなんでないの?」

腕組をしながら、うんうんと、感慨深げに。

 

バっと純ちゃんが動く。

「行くぞナベ!おいお前ら!!俺の歌声をしっかり聞いとけよ!」

「あらあら、感動の余韻もなしですかぁ。そしたらねぇ~」

足早に教室を後にした2人。

再び、静かな空間に包まれる。

 

「寒い。なんかないの?」

パネルヒーターの隣から、声が聞こえた。やっちょだった。

「いいけどもうすぐキャンプファイヤーだよぅ」ひろくんが不満げに答える。

「寒くて死にそうなんだよ」

「やっちょも純ちゃんの元気の良さ見習わなきゃだめだよぅ。はい」

どこからでてくるのか。水筒の蓋にお茶を注いでやっちょに手渡すひろくん。

「あいつは良すぎだろ。サンキュ」

振り返ったひろくん。こちらに向かってくる。

「キョウちゃんもお茶飲む?」

聞かれ、寒かったことに気づいた。

「あ、うんありがとう」

紙コップに注がれたお茶。一口すすると食道を、温かい液体が下っていくのが分かった。

ほっと、ため息が出た。

続けて、飲み進める。ほうじ茶の香ばしい匂いが、口の中いっぱいに、広がっていく。

 

オレンジ色は、かげを潜め、外はすっかり暗くなっていた。

じじじ、あーてすとだ、てすとだぞ。

純ちゃんの、声。マイクテストをしているようだ。

あっという間になくなったほうじ茶。空の紙コップを、手持ち無沙汰にいじる。

 

視線を感じ、目線を上げると、ひろくんが、こちらを見ていた。

ヒソヒソと、耳打ちしてくる。

「さっきやっちょと一緒に来てたけど二人でいたの?先に仲直りしたの?」

「え?えーと…」

あれは仲直りなんだろうか。元々そんなに仲が良かった訳では、決してない。

何て言っていいか分からずにもごもごしていると。

 

ヒーターににべったり張り付いていたやっちょが、脇に置いてあったブルゾンを持って立ち上がった。

大方朝来た時点で夜寒くないように、ヒーターにひっかけて温めておいたのだろう。

彼はとても寒がりだ。

「そろそろ集合時間だろ」

「え、もうそんな時間!?キョウちゃん行こう!急がなきゃ!

駆け足のひろくんは教室から体半分見えなくなっている。

慌てて追いかけようとすると、頭の上にビニールの感触のものが置かれた。

滑り落ちてきたそれを手に取ると、開封前の、ホッカイロだった。

「やるよ」

追い越しざまに聞こえたその声は、さっき話していた時よりも少し小さめで、優しく聞こえた。

 

 

キャンプファイヤーは盛大なものだった。

どうやら純ちゃんが地元の青年部に掛け合って機械などで組み立てたものらしく、

十メートルくらい離れなければ火傷をしてしまうほど大きかった。

私の一番上の兄が青年部の部長をしているのに、何も知らなかった。

そういえば、昼間学校で会ったときに、いつも農作業をする格好をしていたことを思い出す。

「お、杏!盛り上がってるなあ!夜も盛り上がれよぉ!」

何のことか今一分からなかったその台詞を、今になって理解した。

 

純ちゃんはキャンプファイヤーを背に、渡辺君と太鼓とギターで校歌などをアレンジして歌っていた。

感動する程うまいわけではなかったが、全校生徒が知っている曲ばかり、ノリノリで演奏していたので、

その場にいる全員が盛り上がっていた。

 

太鼓を打ちながら、時々こちらに目を向けて、ニカっと笑う、純ちゃん。

それだけで、テンションが上がる。

曲が変わって、スピッツの、チェリー。渡辺君のギターが、夜空に響く。皆が大声で歌う。

 

きっと想像した以上に騒がしい未来が僕を待ってる

 

実行委員長をこなしながら、クラスでは漫才もするし、キャンプファイヤーだけじゃなく、歌でも皆を盛り上げてくれる。

彼の頭の中は、どうなっているのだろう。

お祭り好きといったらそれまでかもしれないけれど、そんな言葉では賄いきれない。

尊敬するべき人が、今、私に笑いかけてきてくれている。

隣には、不安定だった私を支えてくれてきた、ひろくんと加奈が。

奇跡のように、もう一度取り戻すことができたこの居場所を、

もう二度と手放すことがないように。

ぎゅっとこぶしを握り締めると、手の中には、ホッカイロ。

 

そういえば、やっちょはどこに行ったのだろう。

来る時は一緒だったのに、いつの間にかいなくなっていた。

 

「ねえ、杏が今着てるパーカって、山野君のよね?」

キョロキョロしていた私に、妙にニヤついた加奈が話しかける。

後ろから興味津々とばかりにひろくんが乗り出してきた。

「僕も気になってたんだよね!さっきだって二人して視聴覚室入ってくるし!」

 

びっくりした顔で、私を見ていた、純ちゃんと、ひろくん。

 

「あれはたまたま会って、外で話をすることになって、それで私がロンT一枚だったから貸してくれただけだよ。

返そうと思ったんだけど、コート取りに行く暇もなくて」

「おかしいわね~。山野君は女子にそういうことはしないので有名なのよ。なのにあんたは今山野君のパーカを着ている…」

「それにそれに!!!今キョウちゃんが持ってるホッカイロも、いつもやっちょが持ち歩いてるやつと一緒だよ!!!!」

ビシッと私の両手の中にあるホッカイロを指差してひろくんが叫ぶ。

「うん。これも、パーカも、きっと、私を受け入れてくれたって証拠なんだと思うんだ」

ホッカイロを見ながら私は話した。

「話をしてた内容がね、その、じゅんちゃんと仲直りするにはって感じで。

そこで、直接じゅんちゃんに気持ちを言えって言われたの。だから私謝れたんだと思う」

「そうなんだ…。」

うるうる顔のひろくん。

「ねえ、あんたそれで山野君にお礼言ったの?」

「…姿が見当たらなくて。」

「多分やっちょは視聴覚室からキャンプファイヤー見てるはずだよ。

朝“ジャケット冷えたらここから見る”って言ってたもん!

キョウちゃん、行ってきなよ!」

「うん、そうだよね。私ちょっと行って来る!」

 

あ、杏!

 

振り向こうとした私を加奈が呼び止めた。

 

「この紙、よく見たらおかしいのよね。字の左側が、こすれてるの右利きだと、こうはならないわよね」

 

見せてきたのは、B5を4等分したくらいの、小さな紙切れ。

 

具合が悪いので休ませてください 四宮

と書かれたその紙。確かに、左側の字がこすれて滲んでいた。

 

知る限り、左利きの人は、ただ1人。

 

え?何?

ひろくんが加奈に問いかけるのを、聞いたのか、聞いていないのか。

 

私は、駆け出していた。

 

 

 

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