2年生-秋-11

キャンプファイヤーから離れると、途端に刺すような冷たい空気が私を包んだ。

息を吸い込む。

鼻や喉が冷えて、痛い。ホッカイロをまた、ぎゅっと握り締めた。

 

そうだった。

やっちょがいなければ私は今の場所に立てなかった。

真っ先にお礼を言うべき相手は彼だ。

 

なんで無理するかな

気を失う前に、聞こえた言葉。やっちょは、左利き。左利きなのだ。

睨むように、見つめられた、朝の視聴覚室。

もし、私の考えが当たっているのなら。

 

あの日、自転車を無言でこいでくれた背中を思い出す。

 

私は、馬鹿だ。いつだって、やっちょは私を助けてくれたのに。守ってくれたのに。その優しさに気づかずに。

苦手だったなんて、思ってしまった。言ってしまった。

 

伝えられないままのお礼。

今度こそきちんとしたい。

息が、切れる。背後から、純ちゃんの歌声。

ブルーハーツの「夢」に、曲が変わっていた。

 

パーカを脱ぎながら走る。寒いけど、これを着ていてはいけない。守られたままでは。

 

ガラッと、勢いよく視聴覚室の扉を開けた。

電気が消されて、キャンプファイヤーの光が揺れている室内の、端っこ。

パネルヒーターの前に座り、窓枠に肘をついて外を見ていた彼の、顔だけがこちらを向いた。

「何してんの」声だけ聞こえ、表情は見えない。

 

「うん。あの、今大丈夫?」

「とりあえず寒いからドア閉めてくんない」

「あ、ごめん」今度は、静かに。

「で、何」

乱れていた息を、整える。

「…ちゃんとお礼、言ってなかったと思って。本当に、ありがとう。

やっちょがけしかけてくれなかったら、私、今までのままだった。パーカと、ホッカイロもありがとう」

返事はないけれど、きっと、聞いていてくれているだろうと。話し続けた。

「それと…あの時も。あの時、自転車で家まで運んでくれてありがとう。

ずっとお礼が言いたかったんだけど、言いそびれてて」

 

別に。

その返しに、思わず笑顔になる。

「何したわけでもないけど

そう言いながら、きっと、何かあったら動いてくれるのだろう、この人は、これからも。

 

「うんでも、私は嬉しかったから。受け取っといてよ」

じゃあ、ありがたく。

ふいっと、顔の向きを窓に戻す。

 

「もうすぐ終わりそうだな」

窓の向こうでは、純ちゃんのリサイタル。

「あ、ほんとだ。戻らないとね。私、コート取りに行くから、パーカ返すね」

パーカを手渡そうとやっちょに近づいた時。

教室が暗いせいで、床においてあった資料の山に気づかず、けつまずいてしまった。

 

 

 

「ねえ、加奈ちゃん、それって確信犯?」

私が走り去った直後。加奈の持つ紙を見ながら、ひろくんが言う。

「そういう疑問を持つってことは、やっぱり、書いたのは桜井君だったみたいね」

加奈の手の中には、「具合が悪いので休ませてください 四宮」の文字。

「うわあ、すごいねぇっ。いつばれたの?」

ホームルームのチャイムがなった途端飛び込んできた割に、2組まで行ったって言ってたでしょう?

なんだか出来すぎじゃない?

送っていったのは、きっと山野君でしょうけどね。だまされやすい杏の性格を利用して、これ以上の混乱を避けたってところかしら」

「加奈ちゃん、探偵みたいだね」

「うるさいわね」

「じゃあ、なんでやっちょが書いたみたいに、キョウちゃんに言ったの?」

「知られたくないんじゃないの?杏に。だからよ」

「うわ、バレバレ。ホントかっこいい~」

「茶化すんだったら、別にいいのよ。ばらしても」

「あわあわ、ごめんよぅ。許してください~」

「それにしても。…遅いわね」

「うん。遅いねえ」

2人とも、ニヤリと。そのまま会話は途切れた。

 

 

 

「いてえ」

ほんわりと、炎の色が見え隠れする視聴覚室。

膝で踏んでしまった、やっちょの足。

背中に回った両腕が、私の体を、支えていた。

感じる、森の匂い。

 

転びかけた私は、やっちょの足の上に、抱きかかえられながら、膝立ちで着地していた。

「ご、ごめん、ありがとう」

立ち上がる私を無言で支える腕。

 

思い出したのは、森の匂い。驚くほど優しかった、手と腕。

確信へと、変わっていく夢の中の映像

誰かに抱きかかえられている私。その手も、腕も、やっちょのものに、置き換わっていった。

 

一気に、リアルになる、夢。

 

体を支える腕に、恥ずかしくなり。

離してもらおうと顔を上げると、息がかかるほど、近くにいたやっちょ。

ぼさぼさの髪の毛の間から覗いた、その瞳に、体が固まる。

優しい、優しい、 初めてまともに見てしまった、やっちょの表情。

 

よしてめえら!最後はやっぱりリンダリンダだー!

 

純ちゃんの大きな声に。

「は、早く行かないとね!これ、ありがと!」パーカを押し付けるように渡し、ドアに向かって早歩きする。

「色々本当にありがとう!明日からもよろしく!」

おい。というやっちょの呼びかけも、その後のため息も。

聞かずに私は視聴覚室を飛び出した。

 

 

一気に階段を上がり、自分の教室にたどりつく。

扉を背にしてへなへなと座り込んでしまった。床の冷たさなんて、分からない。

顔が、熱い。額に手を当てると、うっすらと、汗。走ったせいだけでは、決してないだろう。

不意に香る、自分の腕に、かすかに移っていた、森の匂い。

ぎゅっと心臓をつかまれた感覚に陥る。

思わず両手で押さえて。はっとした。

 

キュウってココが痛くなる感じとかしたことないの?

 

いつだったか胸に両手を当て、言っていたひろくんの映像が。繰り返し、繰り返し、何度も頭に流れる。

 

全てを、理解した。

やっちょになりたかったと。言った私。

 

ああ、そうか…私はやっぱり馬鹿だ。

本当は、そういうことだったんだ―――――――――――――

 

 2年生-秋-オールアップです。お読みいただき、ありがとうございました。

小話を挟んで、3年生-初春-に続きますが、一応ここで区切りとさせていただきます。

2章からはだらだらと続きますので、ご注意ください。

 

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