しおれた緑に、水をあげよう

お調子者。ムードメーカー。小菅健太の代名詞だ。

何か言えば、ドッと笑いが溢れ、空気が明るくなる。いつでもクラスの人気者。

小学1年生の頃から続けているミニバスでも、チームメイトを盛り上げるのは、いつも小菅健太だった。

札幌にある曙小学校で、健太を知らない者はいなかった。

そんな小菅家の家長である父親が出ていったのは、健太が小学6年生の冬だった。

仕事をしていなかった母は、健太と妹2人を養えるはずもなく、健太の中学入学を機に、実家の江別へと移ることにした。

 

江別は札幌よりも 田舎で、噂はすぐに広まった。

渡辺のみっちゃんが旦那に逃げられて出戻った、 と。

 

春休み、今までなら、いつも友達と遊び回っていた健太。

その年は家で妹達の面倒を、ずっと見ていた。

泣いてばかりの母の代わりに、自分が笑うことで、家を明るくしようと思った。

外に出て、同情の目で見られるのも嫌だった。

まだ5歳の双子の妹は、無邪気に笑う。

祖父母は優しかった。

妹達がなつくと、面倒はこちらでみるから、 外に遊びに行きなさいと、言われた。

牛の世話で忙しいはずなのに、中学に入る前に、友達を作っておいた方がいいと。

健太ならすぐ出来ると。

 

まだ雪が残る4月の初め。ザクザクと、音を立てながら、歩く。

久しぶりに、1人だった。

ザクザク、ザクザク。

昼間溶け、夜また凍るのを繰り返す春の雪は、ザラメ。

石狩川の川土手を見ると、雪合戦をしている一団がいた。

同じ年代のようだった。

急に、足が止まる。あいつらには、父親がいるのか、と思った。

遊んで、家に帰れば、父親も母親もいて、家族皆で笑いながら、夕飯を食べるのか。

でも、自分に父親はもういないし、母親は、しばらく泣き顔か、泣いた後の顔しか見ていない。

ごめんねと言われれば、おちゃらけて、じいちゃんばあちゃんが色々買ってくれるから、こっちの方がいいと、言った。

何度も。

でも、その度に泣きながら謝られた。

妹達も、祖父母も、笑ってくれるのに、母だけは、笑わせられなかった。

お前のせいではないんだよ、と。祖父に言われ、悔しかった。

よく笑う母を変えてしまった父を、憎んだ。

 

「おい、 お前、人数足りないからお前も入れ」いきなり声をかけられた。

雪合戦をやっていた一団だった。確かにその場にいるのは3人で、雪合戦をやるには人数が足りない。

なんとなく、なんとなく、入ってみることにした。

1人でいるよりは、いいか、と思った。

名前を聞かれ、母の旧姓の「渡辺」を名乗った。

渡辺健太。初めて名乗ったその名は、違和感があった。

しかし。

「渡辺健太か。じゃあお前はナベだな」

「僕はねえ、ナベ君って呼ぶ」

「健太…太くないのに」

「おいナベ! 早く来い!」

始まった雪合戦。ザラメの雪玉は、ぶつかると、痛い。

ものすごい剛速球が当たって、転んでしまった。

仰向けに倒れ、空を見る。

久しぶりに見た 日差しは強く、目を細めた。

ナベ、無事か!?

遠くから声が聞こえる。暖かくなってきた。冬は、もうすぐ終わる。

耳に、水が入ってきて、自分が泣いているこ とに気づいた。

さえぎられる、青空。代わりに見えたのは、2つの顔。

「なんだ、泣くほど痛いのか」

「純ちゃんが思い切り当てすぎたんだよぅ!ナベ君、大丈夫?」

「いやあ、大丈夫大丈夫。い~い肩してること」言った声はもう、乾き、水も流れていなかった。

母は泣くけど。周りにもきっと何か言われるけど。でもいいじゃないかと思った。

これからは、小菅健太ではなく、渡辺健太として、皆を明るくしていけばいいと。

そうすれば、いつかきっと、母も笑ってくれるお調子者の自分の役目だ。

うんしょっと起き上がり、3人を見た。

「おいらはちゃんと自己紹介したけどもさ、君たちはまだでしょう?あれなの?君たち7中生なの?そもそも、いくつさ?」

ニヤリと笑ったリーダー格の少年。

「俺様は加藤純一だ。こっちが桜井浩明で、あそこで雪の虫つくってんのが、山野康弘。来週から7中の生徒だ」

「あれれ、ドンパかい。おいらも7中に入るんだよねえ。よろしく頼むわあ」

「そうか、ドンパか。じゃあお前、俺の仲間に入れてやる。喜べ」

唐突な誘いに面食らったが、悪くないと思った。

「あら、おいらったら、もってもて?やだわ、困ってしまうわ、なんつって。嬉しいこと言ってくれるじゃないの、かっつあんは」

「かっつあんって誰だよ」怪訝な顔で、加藤純一が聞いた。

「かっつあんといえば、加藤ちゃんのことでしょうが。やあねえ、これだから男の人ってば」

いつもの、いや、いつも以上のペースが出てくる。悪くない。

「しょうがないな、特別に許してやる。それより、雪合戦の続きだ!」

「そうだね、ナベ君行こう?」ニコニコ顔の、桜井浩明が、ダッと駆け出した純一に続いた。

「あれ、カマキリ、壊さないように気をつけて」

大真面目な顔で健太に近づき、雪で作った虫を指差しながら言った山野康弘も、カマキリを気にしながら、自分の位置につく。

「何やってんだナベ!!早く位置につけ!」純一の声が、澄んだ青空に気持ちよかった。

悪くない。

自分の位置に向かい、走り出す。

 

川のほとりには、ふきのとう。久しぶりに見る緑は、春の訪れを告げていた。

 

※ドンパ=同い年

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