誰もいなくなった河川敷。
私の母が置いていった鍋をすする音だけがこだまする。
加奈はただひたすら鍋をすすっては、散らし寿司をかきこむ作業を繰り返していた。
ひろくんが作ってくれたアップルパイは、18センチのホール。
札幌のお菓子教室1日体験に行って習得したものらしい。
6切れが精一杯の小さなケーキは、部活帰りの純ちゃんの早業によって、あっという間になくなってしまった。
遅れて来た加奈は、当然食べることが出来なかった。
鍋は、餃子が入っていた。中華風の、母自慢の一品で、加奈の大好物だ。
うちに来ると、いつもこれをリクエストする。
散らし寿司は、少し酢が効きすぎていた。かきこむ度に、むせるのを堪える。
そんな加奈を、隣でじっと見つめる人物がいた。
修兄だ。何が面白いのか、食べ続ける加奈の横顔を、ただひたすら、笑顔で見つめていた。
無視を決め込んでいた加奈だが、さっきから相当量を入れているため、そろそろ限界がきて箸を置いた。
観念したように口を開く。
「言いたいことがあるんだったらさっさと言ってもらえません?いい加減こっちももう耐えられないんですけど」
こういう攻撃的な口調は加奈の代名詞とも言える。
私なんかにはとても真似できない芸当だ。
周りからは恐れられたり煙たがられたりしているが、不思議と敵対する関係は馬場さんくらいしか見たことがない。
逆に後輩からの人気はかなり高いというから驚くばかり。
包み隠さず白黒はっきりつけるところがいいのだろう。
私もそんな加奈の竹を割ったようなまっすぐな性格が好きで付き合っているのだから。
「やっとこっち見たね」
多分、加奈が北風ならこの人は太陽なんだろうなと思うほど。
柔らかい、包み込むような笑みを浮かべる修兄。
この笑顔を見せられたら老若男女問わず大抵イチコロなのだが、唯一全く通用しない人物が、ここにいるのだ。
「ていうか、わざわざ自分を毛嫌いしてる人間のそばに寄る必要がどこにあるんですか?」
すぱっと。割りにかかる。
「申し訳ないですけどあたしあなたのこと胡散臭いと思ってるし、言葉でも言ってますよね」
しかし太陽は動じず、ぽかぽかと辺りを照らし続ける。
「それそれ。俺って胡散臭い?」
「ええ、そりゃあもうプンプン」
「どこら辺が?」
「あたしが言わなきゃ分からないとは思えませんけど」
「う~ん。教えてくれないかな」
どこまでも暖かい太陽の光にあてられたのか、食べすぎたのか。
綺麗に整えられた爪をいじりつつ。相当長いため息を一つ吐き、口を開いた。
「百人中百人から“優しくていい人”っていう評価を受ける人は信用しないことにしてるんです、あたし」
「百人は言いすぎでしょ」眉を寄せ、困ったように笑う修兄。
「それはあなたの場合だからです。ま、十人中十人でも変わりませんけど」
「それってさ、井上さんの推察でないの?」
「外れない自信、ありますよ?」
勝気な加奈の瞳に光が宿る。
左眉が上に上がる時は持論がよどみなく展開される前触れだ。
「お、言うね。その自信はどこから?」
修兄の表情もなんだか興味深げに変化している。
「あなたの知り合いの話からです。まあ杏がいい例だけど。
誰も聞いてないのに皆口を揃えて“笑顔が似合って話の分かる優しいお兄ちゃん”っていうんですよ?
妬むとか、気に入らないとか、そこまで行かないにしても、“皆に優しいから何考えてるか分からない”とか、
“いい子ちゃんぶってる”とかいう印象が出てきてもおかしくないはずなんですよ。
それが同年代からも全くでてこないってことは、そういう印象を平等に植え付けるだけの“何か”を確信犯的にしてるってことです」
まるで何かの原稿を読むかのように淡々と喋り終えた加奈だが、表情は喧嘩をふっかけているとしか思えないものだった。
たたみかけるように続ける。
「実際に会った時、まあ気づいてたと思いますけど、ちょっと試してみたんですよね。
唐突に“嫌い”発言されたらって。もし本当に“笑顔が似合って話の分かる優しいお兄ちゃん”だったら、
妹の友達にそんなこと言われたらちょっと悲しそうな顔するだろうなと思ったんですよ。
でもあなた、あの時心底面白いって顔、しましたよね。それで確信しました」
少しだけ目を大きく開いていた修兄は、降参とばかりに目を細め、さらに優しい笑みを浮かべた。
「ん~」とだけ言い、加奈を見つめる。
あっさりと自分の推察を肯定するような態度をとる修兄。
加奈の表情は険しさに加えて渋さまで備わり、大変なことになっていた。
その顔に、気づいているのかいないのか。
修兄の笑顔は崩れない。
加奈はもう無理ですというところまで眉を寄せながらも、この日、初めて修兄に顔を向けた。
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