3年生-初春-9

やっちょは、お腹を抱えて震えていた。

「何?何か面白いものでもあった?」

不思議に思って聞いてみると、

「幼稚園児…みてえ」

震える声で言ってのけるのだ。

確かに、木登りの為に裸足になってジーンズを捲り上げ。

頭に桜の花びらを目一杯つけながら足をブラブラさせていたら少し子供っぽいかもしれないが、私はこれでも背は高い方だ。

幼稚園児とはけしからん。

でも、こんなに近くで、こんなに綺麗な場所で。

この人の笑顔を見れるのは、この先ないだろうと考えると、今ここで機嫌を損ねるのもなんだか勿体ない気がした。

「やっちょってホントに笑い上戸なんだね、知らなかった。ちょっと笑いどころがおかしいような気もするけどさ」

“やっちょ”と“笑い上戸”があまりにもかけ離れているのでなんとなく笑ってしまう。

「笑い上戸がなんなのかよく分かんないけど、四宮は笑える」

臆面もなく言ってのける幼馴染に、

「それって馬鹿にしてるの?」と聞くと、

別に、と。

いつものやつを返してきた。

 

頭を撫でるように吹いていく風。

花の香りにわずかだが、彼のあの優しい香りが混じっているのに気づき、思わず顔を逸らしてしまう。

 

「どうせこの前のこと言ってるんでしょ。あれはやっちょのせいだからね」

ついつい非難めいた口調になってしまう自分がなんだか情けない。

「何で」

ふてぶてしく聞くこの幼馴染は。

やっぱりさっぱり、分かっていないのだ。

「だって、やっちょが馬場さんと話せばさ。あんなこと言わずにすんでるわけでしょ?」

嘘と本気を半分ずつ練りこみながら発した言葉は、黒く、醜い。

しかし。

 

右隣からの

「馬場って誰だよ」という台詞に。

もう何だか、黒い気持ちとか、全てが馬鹿馬鹿しくなってくる。

「いや、さ…同じクラスの人の名前くらい覚えておこうよ…」

やっちょは考える素振りすらせずに「面倒臭いから、いい」と即答する。

その最早気持ちよく感じてしまうほどのきっぱりとした返事に毒気を抜かれてしまった私。

力が抜けた肩をやっちょの方に向け、素朴な疑問を投げかける。

「やっちょってさ、頭いいのに人の名前覚えないよね。何で?」

「興味ないから」

さらっととんでもない事を言う。

「でもクラスメートだよ?修学旅行ももうすぐだしさ」

「別に。どうせお前らとしかいないし」

本当はあまり良いことではないのだろうけど。

それが純ちゃんやひろくん、渡辺君に加奈を含めた私たちであったとしても、ためらうことなく言い切ってくれたことが素直に嬉しかった。

「まあそうだけどさ」

あと一週間に控えた修学旅行の班割りは、当然のごとくといっては何だが、純ちゃん一派で固められていた。

何故隣のクラスのひろくんが混じっているかは謎だったけれど。

やっちょが言う通り、四六時中一緒にいるのは、まず間違いなかった。

 

それにしても、こんなに周りに興味がない人も珍しい。

普通少しは気になるものではないだろうか。

その分ベクトルが自分達に向いているといえば聞こえはいいが、そこまでどっぷりなわけでもない。

寧ろ純ちゃん、ひろくん、渡辺君達とは一歩後ろに下がった立ち位置を守っている感じがする。

 

「やる気がないなあホントに」

やっちょの方を見ると、持って来ていた最後のビール缶を空にしていた。

下に落ちていた空き缶と併せると、少なくとも5缶は飲んでいることになる。

恐ろしい中学生だ。

「…やる気は、ある」

ポツリと。やっちょがビール缶を下に落としながらこぼす。

あごを引いて、目線を斜め45℃下に向け。

パーカのポケットに手を入れる仕草には見覚えがあった。

あの時。

グラウンドで話していた時の仕草だ。

 

「見えないだけですげーやる気」

まさにやる気のない声でそんなことを言われても、信憑性が全くない。

「あのさ、どこら辺がやる気なの。もうその台詞が嘘くさいよね」

苦笑しながら声をだして。

初めて自分が呼吸を忘れていたことに気づく。

変なことを思い出したせいだ。

「…やる気とか、本気なとことか。見せるとビビるから。見せないだけ」

ボサボサの頭。俯いた顔から、わずかに覗く口の端が、上がっていくのを、見ていた。

何故か緊張が復活する。

「え?何?誰かビビるの?」

 

挙動不審な私の質問に、これでもかというほど勿体つけて返すやっちょ。

「四宮が」

さわさわと頬をすべる風とともに私の耳へやってきた言葉は、私が理解するには少し難解だった。

 

「…ビビるの?私が?…なんで?ちょっと、意味が分からないんだけど」

これが加奈であれば、きっとすぐにその意味を理解できるのにな、と思いながら。

必死で考えを巡らせるが、皆目検討がつかないのが現状だった。

しかも、意味深長な台詞を吐いたわりにはどこ吹く風の幼馴染。

答えとか、ましてやヒントなどといったものを、優しく与えてくれる人種ではなかった。

 

こういう非日常的なことが起きている時に。

間違っても相手の鼻を明かしてやろうとか。

普段とは違う自分で何かやってみようとか。

知ったかぶりとか。

張り切らない方がいい。

大抵の場合、とんでもないしっぺ返しをお見舞いされると相場は決まっている。

 

しかし私は。

桜の花びらに囲まれた異空間に気になる人物と二人という、とことん非日常的な空気に。

酔っていた。

だから、あんなことを口走ってしまった。

やっちょの意図していたことなんて、全く理解していなかったのに。


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