休み時間になっても2人は戻ってこなかった。
3限開始のチャイムと同時にやっちょだけが教室に入ってきた。
結局馬場さんは、帰ってこなかった。 今時4人組の残り3人が、昼休みになると馬場さんの鞄を持って早退した。
「えーと。馬場に?川瀬に?田村に三浦?何、帰っちゃったの?
あそう。あー、そう。先生になあんも言わず帰るわけねえ、ふーん」
しかし山崎先生の言葉は純ちゃんの「腹減った!いただきます!」の言葉に空しくかき消されてしまった。
山崎先生は、確かに生徒から人気はあるが、給食中はただの愚痴しか話さない。主に、女性関係の。
30男の愚痴など面白いわけがなく、ほとんどの生徒が「聞き流す」という技を身に着けていた。
修行の賜物か、給食に集中し始めた皆の中に、先生の言葉に反応するものはいない。
「あのねえ、君らねえ、いくら修学旅行前だからって、鮑が食べられるからって、気~抜けすぎなんでないの?
ちょーっとは心の広い担任の顔を立てるとか考えてくれてもいんでないかい?」
あ、とうきびアイス余ってるんでしょや!らあっきい! それは俺のものと古から決まってるんだ!!よこせナベ!!
渡辺君と純ちゃんが、早退した今時4人組分のアイスを取り合い始め、さらにうるさくなる教室。
はあああああと、長い長いため息を吐く、山崎先生。 「ほんとにさ、君らねえ。無視とか。この年になるとさあ。きっついわけさ。28とかさあ、君らからしたら、もうオジサンでしょ? そう、もう俺、オジサンなわけよ。寂しい寂しい、オジサンなんですよ。いやいやいや、俺は年とか全っ然気にしてないのよ? したけどもねえ、プレッシャーがもう、すんごいわけよ。特に君らのおふくろさん達がさあ、まった、色々と、ねえ。 会うたんびにさあ、付き合ってる子はまだいないないんかー、とか、前の彼女に振られてもう1年だろー、とか、 早く彼女作んないと干からびるよー、とかねえ、心の傷をえぐるような真似をさ、してくれるわけよ。 君らはほんと、親子そろって俺をいじめるんだよねえ。優しくしてくんないかねえ、ホントねえ。俺だって彼女はもう、なんまら、欲しいんですよ? 君らの姉さん達に、それとなあく言っといてくんない?7中に犯罪スレスレのイケメン教師がいるってさあ。 そうそう、井上の姉さんとかさあ、美人そうだよねえ?ねえ?美人なんでしょ?」
必死に加奈に訴える先生。
「10歳以上も年の離れた未成年を溺愛する変態になりたいんであれば、鮑のお礼に、紹介しますけど」
妙に変態に力を込めて、加奈がばっさり切り返した。
「あー、いやいや、うん。いやいやいや。俺、節度はちゃんと持ってますよ?君の姉さんがさあ、まだ高校生って、知らなかっただけだからね、井上。決して、俺は変態ではないと、今、ここに、このとうきびアイスに誓おう。 はあああ、しっかししっかし、昔はそれなりにねえ、もてたんだけどもさ、なあして今はこんなにさっぱりなんだべねえ」
「鏡、ちゃんと見た方がいいと思いますよ」
加奈の強烈な突っ込みをさらりと無視し、山崎先生は給食の間中愚痴り続けていた。
「あれは見事玉砕したんじゃない?」帰り道、さらっと私の疑問に答える加奈。ここのところなんだか不機嫌だったが、鮑で復活したようだった。
「玉砕って?」やはり分からない私にあからさまなため息が聞こえる。
「だから、告白したんでしょうよ。こ・く・は・く。もちろん山野君にね。で、断られたんじゃないの?ばっさりと」
事も無げに言った加奈。
「ええ!?そうなの!?なんで分かるの!?」
驚く私に、呆れ顔の加奈。
「あんたねえ、無邪気も一歩間違うと罪になるわよ」
そう言いながらも加奈は至極丁寧に解説してくれた。
「どう考えても馬場清美は山野君を追いかけていったことくらい分かるでしょう? いつもは周りのギャラリーなんて全く気にしないのに、今回は二人きりになろうとしたってことは、なにか重要なことを伝えようとしたかったのよ。 ファンクラブってことはもう本人にばれてるんだから、それ以上重要なことっていったら、今までの経緯からどう考えても告白しか思いつかないわね。
あの女のことだもの、うまくいったら学校中、いいえ、ご近所まで含めて大声でねり歩くに決まってるわ。
まあ、その前に山野君がいい返事をするとも思えないけど。
結果、やっぱり山野君は一人で戻ってきた。ていうことは、見事玉砕。ね?辻褄あうでしょ?
ま、あたしにはどうでもいいことだけど。じゃあね」
ノロノロ自転車をこぎながら、別れ際の加奈の台詞を思い出す。
確かに、合いすぎる程辻褄が合っていた。それ以外、説明がつかない程だった。
馬場さんは、やっちょに、告白をしたのだ。
思わずペダルを踏み外す。ガクン、と体が前に揺れる。
よろけた弾みでずり落ちたヘルメット。
学校指定の黄色い蛍光ラインが入った代物だ。
皆ダサいとか邪魔とか言ってつけないが、私はかぶると安心するので、どんなに邪魔で重くても、きちんと着用してしまう。
いつもは顎の紐を締めるので、ズレは左右どちらかの目が隠れるくらいですむのに、今日はどういうわけか脱げてしまった。
紐を締めるどころか顎にも通さず、ヘルメットと頭の間に押し込んでしまっていたようだった。
アスファルトにゴロンゴロンしているヘルメットを拾おうと、道端に自転車を止める。
夜6時頃なのに、車も通らない、通行人もいない道。典型的な、北海道の、田舎の道。
統合された小学校の中では、1番田舎のため、中学校からは大分離れている。
純ちゃん、やっちょ、ひろくん、私と、小学校が同じ篠津地区の面々は、毎日遠い道のりを自転車で登下校しなければいけない。
特に私の家はその中でも1番遠い。
1人で自転車をこぐ、最後の2キロ。
脇には防風林として、白樺が生えている。もう葉桜になってしまった山桜が、その間に見えた。
ずっと続く、白樺と桜の林。
真っ直ぐのびるその道に見えるのは、転がったヘルメットと、自分の影と、黒の混じったような、濃いオレンジ色に染まる白線。
日はもう落ちていた。
車輪の音が止んでしまうと、静かで。ただ静かで。
さわさわと、木々の葉が触れ合う音が聞こえるだけで。
自分が言ったわけでもないのに、「告白」という単語に過剰反応を起こした私の心臓の音がやけに響くのが気になった。
まだ起き上がりコボシのように揺れているヘルメットを拾い上げ、立ち上がると、勢いよく私の影が伸びる。
思わず伸びていく影の先に視線を動かすと。
伸びが止まった影の先に、人が立っていた。
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