オレンジ色から藍色へと変わっていく空の色。 日が沈むと、暗くなるのは一瞬だ。 夕闇の元で20メートル程離れているその人物が誰なのかは、この位置からでは見えない。
ゆっくりこちらに向かって歩き出した。ぎょっとして、固まってしまう。
1歩、2歩。その足取りは、ためらいを知らない。 こんな田舎の道路を徒歩で移動する人はあまりいない。 幼い子供達ですら、必ず自転車を持っている。
あと100メートルほどで篠津地区に入るが、逆に、反対方向のこちら側に歩いてくる。
私の後ろは1キロ先の石狩川まで、ただの道路があるだけだ。
なんだか怖くなってきた。
もしかしたら、変質者かもしれない。
そういえば去年、隣のクラスの九嶋君が、
「ねえぼく、おじさんの〇〇〇〇なめてくれない?」と、車に無理に連れ込まれそうになったと騒いでいた。
急に鳥肌が立つ。
いそいそとヘルメットを抱えて自転車に戻ろうとすると、
「ちょっと、待ってよ」
声をかけられた。
心臓が驚くほど跳ね上がったが。
よくよく思い出すと、知っている声だった。
改めて、その人物に向き直る。 足元は、きっと、白いスニーカー。ジーンズにトレーナーというラフな格好で、納得する。 普段見たことがなかったので、気づかなかったのだ。 「四宮さんでしょ?待ってたんだわ。ちょっとさ、話あるんだけど、いい?」
鼻声でそう言ったのは、馬場さんだった。
「篠津ってなんま田舎だね」
車も通らないアスファルトの上で。
突っ立ったまま、私達は向かい合っていた。
馬場さんの後ろには、暗くなった道があるだけ。
田舎田舎と馬場さんは私を馬鹿にするが、そんな田舎に一体何の用があるのだろう。
見たところ、自転車でここまで来たわけでもあるまい。
「馬場さん、歩いてきたの?」
「そんなわけないっしょ。親に送ってもらったに決まってるじゃん。もう、わや。ほんと、四宮さんなんて。馬鹿なんでないの」
いつもぐいぐいと大きい声で押してくる馬場さんなのに。
内容こそきついものの、少しかすれていて、切ない声。
意味もなく、ドキドキした。
「四宮さんに話があってさ。ちょっとついてきてくんない?」
くるっと篠津のほうを向いて歩き出した馬場さんに。
自転車を押しながら隣を歩く、全く訳の分かっていない私。
車の走らない道の真ん中を、2人、歩く。
家に着くのは何時になるだろう。
今日は勝兄の彼女である、由比ちゃんがご飯を作ってくれる日だ。
勝兄と中学、高校が一緒の由比ちゃんは、高校2年生の時から勝兄の彼女だった。
勝兄が帯広の大学にいった時も、江別のコープで働きながら、ちょくちょく私の家に顔をだしてくれていた。
勝兄が江別に戻ってきて6年。
ようやく婚約が決まった由比ちゃんは今、週に2回程花嫁修業で夕飯を作ってくれる。
修行の必要がないほどおいしい由比ちゃんのご飯を、私は毎回楽しみにしているのだ。
もし帰るのが遅れれば、せっかくおいしいご飯が冷めてしまう。
それだけは避けたかった。
ヘルメットは脱いだまま。
既に鞄でいっぱいだったかごは、追加されたヘルメットによって、日本昔話の茶碗くらい山盛りになっていた。
汗に濡れた前髪が額に張り付いている。
いくらまだ寒くても、ヘルメットをかぶって6キロの道のりを自転車で行けば、汗をかくのは、否めない。
こめかみの辺りに集まっている横の髪もあわせて、左手で少し整えながら。
ちらちらと、左側を歩く馬場さんの様子をうかがう。
馬場さんは、俯いていた。
私の視線を感じたのか、
「うちさぁ、半可くさいこととか、昔から嫌いなんだわ」
つぶやきながら俯きながら、話し始めた。
とぼとぼと、4本の足と、2つの車輪。
暗くてよく見えない、馬場さんの横顔。
「どっちなのさって、辛抱たまらなくなっちゃうんだわ。もう、すんごい、短距離型」
何を言おうとしているのだろうか。
黙って聞いているものの、いまいち馬場さんの狙いが分からなかった。
わざわざ私を待っていた、その事実がとても不可解だった。
「そんでさ、親父が農協で待ってるからさ、ちゃっちゃと言うわ」 JA篠津店。
田舎ならではの、農業用品の他に、生活用品、食料品一式が買えて、ガソリンスタンドまである、何でも屋。
農協以外、周りに店はない。
母は、「農協は何でも高いから、コープの方がちょっと遠くてもお得」と言っていた。
私の自転車のライトが弱弱しく光る。
もう、辺りはすっかり暗くなっていた。
はるか向こうに見えるのは、街灯と、一灯点滅式の、信号機。
田舎すぎて、きちんとした3色の信号機すらないのだ。
交差点の隣には、農協。JA篠津店の文字。
ガソリンスタンドの明かりが、やけに白々しかった。
※半可くさい=中途半端
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