3年生-春-6

「いやいやいやいやいや、君らはほんと、4組で良かったねえ?俺が担任でよかったねえ??

したって、こおんなにご立派な鮑さんに会えるんだもの、食べられるんだもの!それもこれも、この太っ腹なボクのおかげだということを忘れるべからず!

見て御覧なさい、2組からはふっつ~のご飯でしょ?まあ、フカヒレやら牛タンやらは付いているけれども、それは君らも一緒でしょ?なんも珍しいことではないわけよ。

それがほら、君らなんて鮑の刺身もついてしまっているんだもの!ああらびっくり!たまげたもんだっ!この贅沢モノっ!

あ、三浦、鮑が駄目なら俺が引き取ってあげましょうね。

したっけしたっけ、たあんと召し上がれ~!」

 

修学旅行だからかは定かではないが、妙に外見がこざっぱりした山崎先生の高らかな宣言で始まった、修学旅行1日目の夕食。

さっぱりした山崎先生は、意外と若くて男前だった。散々「イケメン」と自称してきたが、あながち嘘でもないようだ。

 

鮑の刺身は2人で1つ。約束もきちんと果たされていた。

総額5万円ほども余計に支払うことになってしまった山崎先生だったが、そこは、転んでもただでは起きないらしい。

学年主任の菊池先生に、ちゃっかり舟盛をご馳走になっていた。

10歳くらいの子供もすっぽり入ってしまいそうなほど大きい舟盛が、教員席に鎮座している。

楽しみにしていたフカヒレは、残念ながら姿煮ではなく少量の身をほぐしたスープだったが、ふわふわの卵と絡み、とてもおいしい。

 

3年生と引率教諭が勢揃いした宴会場は当然ながらうるさかった。

私達のクラス、というか、主に純ちゃんと渡辺君は一際元気がいいことで有名だが、修学旅行中、そのパワーは桁違いに増大している。

朝6時半に学校を出発した私達。朝靄のかかる中、新千歳空港までをバスで、仙台までは飛行機、その後はまたバスで移動した。

バス内のレクリエーションでも、漫才をしたり、ピンポンパンゲームをしたり、寝ている山崎先生の顔に落書きをしたり、大騒ぎだった。

出発から12時間が経過した今でも、その元気は衰えを知らないようだ。

 

「おいお前!!確かフカヒレ嫌いじゃなかったか!?」

襲い掛からんばかりに質問する純ちゃん。

自分の食事はとっくのとうに食べ終え、他のクラスの余り物を物色している最中だった。

鮑なんて、山崎先生の挨拶が終わる前に、一口で食べてしまっている。

 

宴会場は50畳ほど。

4組から2組までなかなか距離があるのに、純ちゃんの声ははっきり聞こえていた。

「違うよ純ちゃん!フカヒレ嫌いって言ってたのは、こっちの堀君の方だよ~!!」慌ててひろくんが止めに入る。

もっと向こうの方から笑い声が起こった。1組だ。渡辺君がお皿を持ちながら、大声で。

「フカヒレ~フカヒレ~フカヒレを~めぐんでえ~ちょ~うだいなあ~」と、妙な動きで練り歩いているのに笑っていたようだ。

菊池先生が何やら怒っているようだが、そんなことでは渡辺君は静かにならない。

ついには菊池先生もが笑ってしまう始末。

一番厳しいはずの学年主任も騒ぎに混じってしまったことで、さらに宴会場は収拾が付かなくなっている。

彼らのお祭りパワーに、普段おとなしいと聞くほかのクラスの生徒達も盛り上がっていて。

いつもはあまり関わらない人たちが多いが、もしかしたら修学旅行を期に仲良くなれるかもしれないと、期待する。

 

鮑の刺身はおいしかった。

コリコリっと、歯ごたえがあるのに、その「コリ」を抜けると、柔らかな食感が、絶妙の甘味と旨味をさらに引き立てる。

加奈が目の色を変えて鮑に固執していたのが理解できた。2切れだけ食べてあとは全て彼女にあげたものの。

ちょっと気持ち悪い見た目とは裏腹にかなりおいしかったので、今度勝兄に、奥尻とか、礼文とかの鮑を食べさせてもらおうと思った

 

料理に舌鼓を打ちながら、チラチラと、加奈を見やる。

鬼のようなスピードで料理を平らげている、親友を。

全部話してしまおうと思っていた。

加奈に話すことで、なにか、この複雑に絡まりあっている頭の中がすっきりするのではないかと。

関係性を気にしてずっと言えなかったこと。「友達同士」という小さな小さな社会の中の、微妙な、本当に微妙な立ち位置を気にして。

決意したのは、やはり馬場さんに自分の気持ちを言ってしまったからだろうか。

もう、早く話して楽になりたいと思っていた。

 

 「あ~、なんだか満足しないわ。やっぱり舟盛は魅力的よねぇ…あんなに大きいの、そうそう食べきれないわよねぇ…部屋にお持ち帰りしてたものねえ…」

部屋に帰る途中で、加奈がぶつぶつ言っている。また食べ物だ。

食事の後。

お札チェックと銘打った部屋回りで、チェックするふりをして素早く張ったお札は、予想通り大騒ぎの引き金となった。

生徒達の悲鳴に駆けつけた教頭先生の顔も真っ青になっていた。

「大丈夫ですよ!!過去に出たことはないと、ちゃんと菊池先生が確認していますから!ほら落ち着きなさい!!」

本人の声が一番落ち着いていない五十路女性の額にぶら下がったカーラーが面白すぎて、隠し撮り後にこっそり抜けてきたところだ。

 

廊下はまだ青い畳で、イグサのいい香りが気持ちいい。

わざとすり足をして、さらさらと音を立てながら歩いていた。

前を歩いていた純ちゃんが、驚いて振り返る。あの純ちゃんを驚かせるとはかなりのモノだ。

「お前まだ食うのか?俺より食欲ありそうだな」

「食べられるときに食べる、人間の本能を忘れないように生きていくべきだと思わない?」

何度も言うが、彼女は食べ物絡みでは人格が変わるのだ。

不敵に笑う加奈に、こちらも何を思いついたのか、至極楽しげな純ちゃん。

「それもそうだな。確かに俺も物足りん。たまには欲に忠実になってみるか。手始めに山センの舟盛を強奪するのはどうだ」

「あら、加藤君、折角大枚はたいて鮑をご馳走してくれたのに、舟盛までとられたんじゃ、山崎先生がかわいそうよ」

口では同情を装うものの、完全にギラギラと燃えたぎっている加奈の目。

 

そこへ、帰り道で若い仲居さんにつかまり、ドジョウすくいを披露していた渡辺君が合流してきた。

「あれえ?なになにかっつぁんそのお顔は。なぁんか面白いこと企んでんでないの?オイラも混ぜておくれ~」

「ちょちょちょちょっと!やめとこうよぅ!」

山崎先生の部屋をロックオンする3人の周りをハエのようにぐるぐる回るひろくんだが、誰一人聞き入れる者はない。

なんだか楽しくなってきて、私も加わった。

「あら杏、もうお腹はいっぱいじゃなかったの?」

「鮑がね、思いのほかおいしかったから。山崎先生ならもっとくれるかなあって思ってさ」

「よし、これから作戦を発表する。まず全員で遊びに来たとかいって山センの部屋に入るんだ」

思わせぶりに作戦会議が階段付近で開始された。

「あいつはきっと酔っ払っていい気になってるからな。鮑の礼とか言えば一発で機嫌よくして部屋に入れるだろう。

そしたらキョウ、お前が山センの正面から残りのアワビをねだれ。

隙を見て俺とナベで山センを押さえるから、浩明と井上で舟盛をかっぱらうんだ。いいな?」

「合点承知の助でい!」

「了解!」

「まかせておきなさい!」

勢いよく答えた渡辺君、私、加奈だが、勝手に作戦に加えられていたひろくんは当然納得がいかない。

「え~、僕やだよう。後で絶対怒られるよ~。やめようよ、ねっ?ねねっ?」

「うるさいな、さっさと行くぞ」

「えーん」

純ちゃんに殴られ、泣く泣く付き合うことになってしまった。

 

「ようし、いいか、この鮑強奪作戦、絶対成功させるぞ!」

純ちゃんの合図でドアをノックする加奈。

反応がない。

もう一度、今度は強めに叩いてみる。

ノックの途中で、おもむろにドアが開いた。

思いっきり笑顔の山崎先生は、やはり結構飲んでいたようで、顔色はいつもと変わらなかったが、吐く息がものすごくくさかった。

思わず顔をしかめた私達を、先生は気分よさそうに見下ろす。

 

「なしたあ?こりゃまた勢ぞろいで来たもんだねえ。

なにまだ風呂も入ってないんでないの?だめっしょや~お子様は早く寝ないと。そうそう、君らなんてお子様なのよ?明日寝坊でもしたらどうすんのさ。

俺はねえ、ほら大人でしょ?いくら君らがおっさん呼ばわりしたって大人は大人なもんだからさあ。

したから、大人の楽しみってえもんを今まさに堪能しているんだっ!

あ、もしかして舟盛狙い?言っとくけど舟盛は俺のだからね?

不純物入りの水をちびちびやりながらゆ~っくりと味ってるんですからね?

俺がちびちび堪能しているところを見学したいならそれはそれでいいけれどもねえ?」

 酔っているくせに、妙に勘が鋭い山崎先生は、私達の「鮑強奪大作戦」を見抜いている様子だった。

それでもすごすご帰るわけにはいかない。

 「ナベ!左に隙があるぞ!!」

「っしゃああオーフェンス!」

後方から純ちゃんの指示を受け、大きい体を起用に縮めながらやまざき先生の右わき腹をさっとすり抜けた渡辺君。

突然のことにただの酔っ払いは付いていけず、ふらふらと体を揺らし、下駄箱の上に腰掛けるような格好で寄りかかる。

邪魔な大人をよけて部屋に突入しようとした時、渡辺君の緊張感のない声が響いてきた。

 

「あんれえ?」

純ちゃんを筆頭に、山崎先生の部屋になだれ込む。

6畳ほどの小さい和室の隅ですやすやと寝ている男子生徒がいた。

右手を折りたたみ、枕代わりにして横向きで寝ている。

覗き込まなくても、チラッと見ただけで、誰かなんてすぐわかった。

やっちょだ。

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