3年生-春-7

質素に佇むテーブルの上には、大皿に移し変えられてはいるものの、まだその存在を大きく主張している刺身達。

一体あの舟盛はいくらしたのだろう。私達が全員でかかってもそう簡単に平らげられる量ではない。

この部屋の主であるはずの山崎先生を端に追いやり、皆であれやこれや言いながら皿をつっついていた。

 

「どうしてやっちょが山崎先生のところにいるんですか~?」

山崎先生しか年長者が部屋にいないことを確認し、手のひらを返したように刺身を楽しみ始めたひろくんが聞くと、

「ん~なしてだべねえ。気づいたら寝てたんだわ。や、俺もなまら驚いたんだけどもね?なんもかわいそうなんでしょと思ってさ、寝かしといてあげてんのよ。やっぱ違いの分かる男ってえのは懐がでかいもんでしょう?」

隅っこでダラダラ日本酒を飲んでいた山崎先生が事も無げに答える。

足元にはいつの間に買ったのか、「雪の松島」とラベルの貼ってある一升瓶。宮城の有名なお酒だそうだ。

引率教諭のくせにこんなところでへべれけになっていいのだろうか、この人は。

教頭先生はカーラーを振り乱しながらあんなに頑張っていたのに。

 

「バスも飛行機もずっと寝てたのによくもまあまた寝られるものね」

夕食をあれだけ食べてなお食べるスピードの変わらない加奈が、口の中にある刺身の存在を感じさせないクリアな発音をすれば。

「いつだって睡魔と共に生きてるからな。30秒で熟睡するやつはあいつしか見たことないぞ俺は」

同じく箸の運びが見えないほど猛スピードで刺身をあさっているが、対照的に、色々こぼしている純ちゃんが返す。

「ほんとにマイペースっていうか、暢気だよねぇ~」

純ちゃんのせいで汚れてしまった茶色いテーブルをせかせか拭きながらひろくんも続く。

いないと思ったらこんな所にいたのだ。

寝息すらたてず、昏々と眠り続けるのは当の本人。

 

そんなやっちょにさっきから落書きをする人物が1人。

渡辺君だ。

左頬に、芸術的なフランシスコ・ザビエルの絵が完成しつつある。

元々満腹だった私は、鮑を数切れつついたあと、渡辺君の描くフランシスコザビエルを眺めていた。

体育座りの膝を両腕で抱え、その上にアゴを乗せて、ぼさっと

 

寝顔のやっちょはあまり普段と変わらない。

前髪で顔が上半分隠れてしまっているせいだろう。

あの髪の中に、強力な爆弾が仕掛けられているのは周知の事実。

過去2回、私は爆弾があると分かっていながら被害にあった。

威力抜群の、今は見えないやっちょの素顔。

 

出来上がったザビエルにご満悦の渡辺君が笑いながら、無造作に投げ出されている左腕にも何か描き始めた。

かなり上手く描けてテンションがあがったのだろう。鼻歌も歌っている。

純ちゃんが作詞、渡辺君が作曲した、「石狩川」だ。

演歌のようなタイトルだが、なかなかどうして、妙に郷愁をくすぐる作品に出来上がった。

4月の後半から毎昼休みに放送されてきたその曲は、現在私達の校内ヒットチャートを荒らしている。

 

 やってくる 今年もやってくるぞ

 去年はこの時期 バス通学

 喜んでばかりいられない 家の畑も荒らされた

 犬がしきりにうなってる

 鮭がしきりに飛び跳ねる

 あいつはそこまできてるんだ

 

1番を歌い終えた渡辺君は、やっちょの左腕を私に見せてきた。

今度はドン・キホーテとお供のサンチョの冒険をパラパラ漫画のようにコマ分けして描いているようだ。

ニカカと笑いながら、2番を歌いはじめる。

 

渡辺君は、器用な人だ。

去年見せてもらった通知表は主要5教科以外全て5で、それは1年生の頃から変わらないらしい。

そうえば、運動はもちろん歌もギターも上手いし、美術や技術も個性溢れる、渡辺君らしい温かい作品を作る。

料理や繕い物なんてそこら辺の主婦より上手いのではないだろうか。

いつだったか彼の家に遊びに行ったとき、双子の妹達をあやしているのを見て、納得した。

歌も、絵も、工作も、料理も、全て家族のためだったのだ。

彼の母親は離婚しており、祖父母とともに牛の世話で朝から忙しい。

代わりに渡辺君が妹達の世話を一手に引き受けながら、更には家事をも手伝っているそうで。

私達が遊びに行った時も、歌を歌いながら絶品ドーナツをささっと作ってくれた

 

部活も忙しいはずなのに、疲れた顔ひとつせず、いつも楽しそうにしている渡辺君。

今も時々こちらを振り返っては、彼特有の、ふにゃりとなる笑みを見せてくれている。

私が大好きな、”おにいちゃん”の顔。

時々修兄と渡辺君が重なってしまうのは、根っからの末っ子体質だからだろうか。

部屋の中央は何やら騒々しいが、この片隅だけ、優しく静かに時が流れていく。

 

四宮ちゃんさぁ、元気かい?」

ドン・キホーテの右腕を描きながら、おもむろに渡辺君が話しかけてきた。

いつもより少し抑えた、とびっきり優しい”お兄ちゃん”の声だ。

 なんだか気持ちがほくほくしてくる。

「うん、元気だよ」

口を動かすと、アゴが足を抱えている両腕にささって痛い。

喋るたびに頭も上下して、さぞや滑稽だろうが、渡辺君はこちらを向いていなかったので見られることはない。

「そいつぁ良かった良かった。折角の修学旅行だからさ、もう、なんまら楽しんでしまおうでないの」

横顔は変わらず、ふにゃふにゃ、とでも聞こえてきそうな笑みをこぼした渡辺君。

「渡辺君は、元気?」

「オイラ?オイラはそりゃもう、なんまら元気だわぁ」

「そいつぁ良かった良かった。折角の修学旅行だからさ、もう、なんまら楽しんでしまおうでないの」

さっきの渡辺君の台詞をそっくりそのまま言ってみる。

くるっと渡辺君が振り向いて、噴出した。

「ダハッ!なになに~、四宮ちゃんてばオイラに懐いちゃった感じ?したっけお兄ちゃんが遊んであげましょうね~はいじっとして~」

そう言って私の左手の甲にも何かを描きだした。

渡辺君の後頭部で遮られている為、何を描いているのか分からない。

 

少し間を持て余してやっちょを見ると、刺青のように芸術的な落書きを左頬と左腕にまとっていた。

ドン・キホーテとサンチョが突き進んでいくコマが数個続き、敵となる風車は腕まくりされた肩に。

その風車の支柱はなぜかむっつりとした表情の山崎先生。あまりにも似ている。

思わず笑い、体を震わせてしまった。

「こらこら~じっとしてれってぇ。うんちとか描いちゃうよ?オイラ、本気よ?」

落書きに集中している渡辺君のお叱りを受ける。でもそれも面白くてさらに笑ってしまい、止まらない

「あああ、この人ストレートなのにパーマになっちゃったしょや~」と、渡辺君も笑いながら。

「笑ってしまったからね、こういうのしか描いてやんないんだからね?」と出来上がった絵を見てみれば。

顔のパーツそれぞれがうんちで、向かって左側だけパーマがかかっているモナリザがいた。

 

ひとしきり笑って。

ひろくんが淹れてくれたお茶を皆で飲み始めても、やっちょは寝ていた。

よくよく見ると、ドン・キホーテとサンチョの動きがパラパラ漫画仕様になっているおかげで、彼らの目指す敵が、

ザビエルにも山崎先生顔の風車にも見えるようになっている。流石に芸が細かい。

 

不意に、さっきまで静かに1人酒をしていた山崎先生がフラフラと立ち上がった。

一升瓶はすでに半分空。週1でものすごい悪臭を放つ原因はこれだったのだ。

 

「ほれほれほれ~い、皆様オネムの時間ですよ~。12時には菊池先生の見回りがあるんだから、君達もう帰んなさい?ね?ついでに山野も連れて帰って?ね?」

 ぼかあもう眠くなってしまったので失礼いたしやすふふふん。

意味不明の発言の後。

そのまま布団にバッサリ倒れ、数秒後には高らかなイビキが部屋中を埋め尽くした。

 

「ねえ純ちゃん、山崎先生もすぐ熟睡しちゃったよぅ?」

「いや、山センの場合はしばらく前から寝てたからな。今のは寝言だ、寝言」

 

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