修学旅行のお楽しみといえば、やはり夜中だろう。
無事に先生方の見回りをやり過ごすと、一斉に起き上がり、ヒソヒソ話で盛り上がる。
疲れているはずなのに、不思議とそういうことが苦にならないのが修学旅行。
定番中の定番だ。
夢見る程ではないが、なんとなく、憧れてはいた。
しかし、運命とはシビアなもので。
私と加奈は、なんと、今時4人組と同じ部屋だった。
期待していた雰囲気には当然なるわけもなく、彼女達は勝手に盛り上がっている。
その声は、ヒソヒソを軽く通り越し、眠りに付くには耳障りな音量だった。
私達は、和室の窓側、板の間に向かい合わせでおいてある椅子に腰掛けていた。
4人組が喋っている、布団が敷いてある畳スペースと板の間を障子の引き戸で隔て、窓から夜空を見ていた。
全室窓から海が見えるのが自慢の旅館。大きい一枚ガラスの窓がどでんと構える。
下弦か上弦かなんて忘れてしまったが、半月の光が、柔らかく海をてらし、光が幻想的に海面をゆらゆら踊っている。
きれいだった。
「で?」
おもむろに加奈が切り出す。
「え?」
「え?じゃあないでしょうが。何かあたしに話したかったんじゃないの?」
月明かりのみの室内で、うすぼんやりと光る海を見つめたままの、横顔。
いつもは靴下に隠れている足元には、淡いピンクのペディキュア。月明かりに照らされて、うっすらと光り。
ゆったりと開いた浴衣の衣文に向かって、襟足の後れ毛がうなじに沿って曲線を描く。
唇はふっくらとピンク色だし、腕も、手も、髪も。
思わず触りたくなってしまうのは、きっと手入れが行き届いているから。
もともとかわいいとは思っていたが、改めて見るとものすごく綺麗な目の前の友人に、軽く息を呑む。
加奈は、自分が女だということを、最大限活かしているタイプだ。
見た目も気を使うし、内容はかなりきついのだが、言葉使いも、立ち居振る舞いも。
こんな田舎の中学生とは思えないほど、洗練されていると思う。
恐れられているためか、今まで異性からの人気はそれほどでもなかったが、それはあえて加奈が遠ざけているようにも感じるのだ。
いつも加奈が私に見せている笑顔を見てしまったら、きっと男子全員、加奈の虜になってしまうだろうから。
そういえば、加奈のそういう話は全く耳にしたことがない。
そもそも、加奈に、好きな人は、いるのだろうか。
そこまで思い当たって、最近本当に自分のことしか考えていなかったのだと、実感する。
不機嫌だった加奈。理由なんて食べ物のことだろうと、勝手に思っていたが。
私の悩みをいつも、たとえ言ってなかったとしても、分かって、励ましてくれているのに、私は今まで加奈の役に立ったことがあるだろうか。
もしかしなくても、私と加奈は、一方通行の関係なんじゃないだろうか。
じっと加奈を見つめていると、私の視線に気づいたのか、怪訝な顔でこちらを向く。
何よ、と。挑戦的な台詞も忘れずに。
「ねえ、加奈ってさ、私の友達で大丈夫?」
一瞬、大きな目がさらに大きくなるが、すぐに細められる。
「もしかして余計な心配してるの?あのね、損得勘定で友達やってたら、疲れて毎日なんて一緒にいられないでしょうが」
「でも、私ばっかり加奈に頼ってる気がしてさ、申し訳ないよ」
「すぐにあたしも頼るようになるから安心なさい。それとね、」
いるだけでその存在に救われるっていうことも、あるのよ。
うすく微笑む加奈。私は男子じゃないはずなのに、妙にドキドキする。本当に、いつの間にこんなに綺麗になったのだろうか。
「そんなことより、早く本題に入りなさいよね。話さないなら、寝るわよ」
やはり、加奈には全てお見通しなのだ。
すこし、光が揺れる。波が立ったのだろう。
光る半月。あとは暗い夜空。
今はいない星達も、見えていないだけでそこにはいる。でも、ついついいることを忘れてしまう。
ごめんね、と。こころの中で謝った。
「私ね、やっちょの事好きなんだ、よね」
少し声が震える。馬場さんもこんな気持ちだったのだろうか。
「けど、今のこの6人でいる空間もすごく好きで、本当に大切でさ。
私がやっちょを好きだと、そのバランスが崩れてしまうんじゃないかな、てね。
この前馬場さんに聞かれて、思わず本当の事、言っててさ、うん。
なんか好きだって、言ってしまってたんだよね。
告白とか、付き合うとか、さ。ほら、そういうのさ。
正直、想像もできないし、今の皆の関係を壊したくないのは本当、そう。
でも、やっちょの隣に、誰かがいるって想像したら、急に怖くなっちゃって。
笑顔でおめでとうなんて、言えないかなって思ったらさ、自分がどうしたいのか、ちょっと、よく分かんなくなっちゃった」
そこまで一気に言って、加奈の返事を待つ。
せっかく温泉に入ったのに、唇が乾いてかさかさになっている。
足も、加奈みたいに綺麗に手入れなんてしていないから、かかとが少しザラザラする。
こんな自分でも、誰かを好きになることがあるのだから、不思議だ。
不意に、加奈が立ち上がる。
甘い香りが漂い、手のひらが、私の頭にぽんぽんと乗っかってきた。
頭上から落ちてくる、その言葉も、声も、優しくて。
よく言えました。
意味もなく泣けてくる。
そうか、私は、加奈にただ聞いてほしかったのだ。
なんとかしてくれるとか、いいアドバイスが欲しいとか、そういうのは二の次で。
単純に、加奈に聞いてほしかっただけだった。
何もいわない加奈。手の温もりが、気持ちいい。
緊張の糸が、ゆっくりとほぐれていく。
今時4人組の声のおかげで、私が鼻水をすする音は聞こえてないみたいだった。
「山野君」という馬場さんの声が頻繁に聞こえるから、あちらでもそんな話をしているのかもしれない。
いや、きっとしているだろう。
胸が少し痛くなる。加奈に話したといっても、根本が解決されているわけではない。
ぽんっと、もう一回。乗せられた手のひらは、やっぱり温かくて。
私の気持ちを天辺から溶かしてくれているみたいだった。
「別に、好きなもの全部とったっていいじゃない。杏は今まで諦めてたんだから。
それにね、杏が山野君を好きでも好きじゃなくても、きっとこの関係は変わっていくわ。
いつまでも6人が同じ所にいるわけにはいかないのよ?
人は、外見も中身も、いい意味でも、悪い意味でも、変わっていく生き物なの。
山野君への気持ちの変化があっても、皆への想いが変わるわけじゃないでしょう?
それはきっと、皆も同じよ。
変わらないものも大事だけれど、それと同じくらい、変わっていくことも必要。
だから、今杏が悩んでいることも、とても大事なものだと思うわ。
しまい込んじゃだめよ?全部、ちゃんと、あたしでも、桜井君でもいいから、言うのよ?」
ちゃんと、自分で答えを見つけられるわ。
そう言って、離れていった甘い香り。
加奈の言葉は、優しくて、そして切なかった。
どんな風に、私は、私たちは、変わっていくのだろうか。
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