

一言でまとめると、佐々木健介。
有名なプロレスラーの名前。
姉の恋人だというその人の第一印象は、それに尽きる。
適当に暇をつぶし、13時5分前にエアドゥの搭乗カウンターへ着いた。
ガラガラと今度はスーツケースも一緒に。
さっきスーツケースがあれば、お腹の音をごまかせたのにと午前中のやり取りを思い出して、ニヤリと笑っ
てしまう。笑いを堪えていたお地蔵様を思い出して。
忙しそうに行き来する人。
東京は本当に人が多い。
待ち合わせといってもここまで人だらけだと、半径1メートル程に狭めなければ見つけることが出来ないだろ
う。
とりあえずぐるっと周りを見渡せば、意外にもあっさりと見知った人影を発見する。
彼女にしては珍しく、明るい色の取り合わせだった。明るい色で、柱にもたれかかっていた。
パステルイエローの花柄ワンピースに薄いピンク色のサマーカーディガン。
足もともパステルイエローのサンダルで合わせている。
いつも黒とかグレーとか白とか、色を好まないのだが、東京ということで気合いが入っているのだろうか。
幼い頃はそれはもう巨漢だったが、札幌に住むようになってから急激に痩せ始め、今では標準体型にな
っている。
実際、一年ぶりに見る彼女は、幼い頃とは違い、今時のスタイルの良い女性。
色々とわだかまりはあるものの、とりあえず、久しぶりの再会だった。
この一年、電話で話などしていない。
手紙のやり取りを数回、しかも、必要事項のみの、簡素なもの。
だからだろうか。懐かしい気持ちがムクムクと湧き上がる。手を振った。
向こうもこちらに気づいたのか、手を振り返してくる。
柱の方に行こうとして体の向きを変えると、スーツケースがぐるんと180度回転して、右太ももに倒れ掛かっ
てきた。
キャスターは重さを軽減してくれるので便利だが、こういう時は厄介だ。
ガラガラと、なかなか止まってくれないのだ。
軽いものならまだしも、20キロ以上あるスーツケースの体勢を立て直すのには骨がおれる。
往来の真ん中であくせくスーツケースと格闘していると。
「ちょっと、なにやってんの、恥ずかしい」
すぐ近くから聞きなれた声。
そのうち手が伸びてきて、あっという間にスーツケースを正しい姿勢に直す。
甘い香りがふわっと漂った。
クリニークのハッピー。
私がドイツに行く前から、姉が愛用している香りだと、すぐに分かった。
嗅ぎ慣れた香り。
結局、姉の手により、横のソファ前にスーツケースが落ち着く。
「あんたはほんと、ちっとも落ち着かない」
呆れと諦めと軽蔑と。入り混じった表情。
姉は、私の前でいつもそんな顔をしていた。そういう喋り方をしていた。
今も大差ないだろう。
向こうには、懐かしいという気持ちはないのだろうか。
「やーやーやーやー、どうもどうも、ただいまでご無沙汰で、えーと、お元気?なんもすいませんねーわざわ
ざお迎えにきてもらってしまって。やや、ほんと、東京とかね、なんも分かんないから助かりますわ」
まともに話すのなんて、何年ぶりだろう。
変に緊張していた。
無駄にへらへらと腰を低くしてしまう。
実の姉だというのに。
「ああ、別に私もこっちで用事あったから。あんたは放っといたらいつまで経っても遊び歩いてそうだったし」
その言い草に、ムッとする。
折角こちらが珍しく低姿勢なのに。
少しくらい再会の雰囲気を醸し出してくれてもいいではないか。
そう思って向こうを見ると、姉の隣に誰かいた。
どこかで見たような顔だった。
ソフトモヒカンの髪の上を、G-SHOCKをつけた腕が通り過ぎる。
会釈をされ、不思議に思いながらこちらも頭を下げた。
姉の方を見ると、なんとも言えない表情。
「こちら、今お付き合いしてる迫田和真さん。和真、妹の楓」
色々と突っ込みたかった。
お付き合いって、何その言い方、気取っちゃあいませんか、とか。
別にあんたの彼氏とか紹介されたくないんですけど、とか。
でも、どこで見た顔かを思い出すのに頭が一杯になってしまい、突っ込みどころではない。
言葉を発するどころではない。
眉間に皺を寄せ、じっと見つめる私の態度に軽くおびえる迫田和真さん。
「ちょっと楓、失礼でしょうが、やめなさい」
姉の憤慨した声。
「あ、いやいやどうもいつも姉の明日奈がお世話になってます。妹の楓です…ていうかですね、初対面でもの
すごく申し訳ないのですが、以前どこかでお会いしたことあります?」
「いや、初めてですけど?」
怪訝な顔をされる。
その表情にピンときて、思わず口に出してしまっていた。
「あー、あー。見たことあると思ったら、佐々木健介だわ。プロレスの。あー、すっきり。いや、それにしてもそっく
りですね。よく言われません?」
私は空気の読めない人物として名高い。
しかし、流石にその場の空気が変わったのには気が付いた。
目の前にいる姉と迫田和真さんの表情が、瞬時に固くこわばっていく。
どうやら失言してしまったようだ。

