

「えー!?彼女!!彼女ですか!!遂に北山先生にも春が!!わはははは!」
うっせーよてめー!
そう言ってまた頭をはたかれた。
大層不機嫌な本人は無視し、ヨシに詳しい話を聞いてみる。
「なになになに?あの面食いで有名な北山先生のお眼鏡にかなう方がいらっしゃったと?」
「そうらしいよ。酒井君はプリクラ見たらしいけど、詐欺かってくらいかわいいって言ってた」
「ずるいー!ずるいんですけど!!ヨシも見てないの!?」
「うん見てないの。見たいんだよねー。至極大事にお財布に入れてるらしいんだけどさ、ちょっと元木奪っ
てきてくんない?」
「ラジャ!おうおうおうおう北山とやら!おめいさんのツレ、随分といい女らしーじゃねーか!証拠はあがっ
てんだ。写真隠してねーでとっとと見せろってんだべらんめい!」
「あ?ふざけんなよ誰が見せるかって。つーか誰だよお前。その話し方、やめれ。気色悪い」
「っかー!!なっさけねえ!いいツレが出来たってんで祝おうとしたらこれかい!全く友達がいのないや
ろうだよ!おめいさんはよう!」
「ほんとー。北山君つまんない。元木が折角帰ってきたんだから無礼講で見せてよ」
ヨシと2人でタッチャンにグイグイ寄っていると、クラクションの音が響いた。
次いで、ノブちんの呆れたような声。
「…何してんのお前ら。さっさと乗れや」
中古で買ったというインプレッサは、見た目はすっきりしていて、なんでもないファミリーカーみたいなの
に、スピードがやたらと出る。
ノブちんにそっくりだった。見た目だけすっきりしていてその実暴走気味だった以前のノブちんに。
利尻島出身で、私と同じく上京ならぬ上札組のノブちん。
立ち居振る舞いが驚くほど綺麗な男。
初対面でイイトコの坊ちゃんかしらとこちらが聞くと、
「まさか。んな育ちよくねーよ」と一蹴された。
その言葉通り、ノブちんは喧嘩にタバコにお酒にギャンブルに、女性関係も酷い、とんでもない高校生
だった。
それでもその中身からは想像もつかない程すっきりとした彼の空気と、仲間に限りなく優しいというヤン
キー根性が心地よくて、仲が良いまま、ここまできた。
流れていく景色。東京と違い、まっすぐ、広い道路。
一車線程もある中央分離帯には、芝生やら木やらが植えられている。
細長い公園のようなのに、そこを歩く人はいない。
歩道を行く人影も、ほとんどなかった。
後部座席の窓から覗くように空を見上げる。
どこにいても、空は空なのに、場所によってやはり印象が全く違う。全く別物に感じる。
バイエルン地方の空は、もっと青が濃くて、皮膚がジリジリするほど太陽の光が強かった。
東京の空は、ビルの間で肩身を狭くしていた。
少しスモークが入った窓からは、雲だけ、鮮やかに見える。
あとはスモークのせいでくすんでしまった青が、どこまでも続く。
右足だけ妙に深く踏み込んでいる以外、ゆったりと運転をするノブちん。
相変わらず綺麗な佇まい。
ヨシの手紙には、社会人になって中身も大分落ち着いたと書いてあった。
居心地が悪かったのか、座りなおすために腰を上げている。
その途端にノブちんの背中から自己主張してきた、《We were BORN!!》という文字。
こんなダサいTシャツでも、足元がヨレヨレで真っ黒なコンバースでも、宮の森や円山辺りに違和感なく
溶け込むのだろう。なんでもない顔をして、堂々としているのだろう。
「あー、タツの彼女?そうだなあ、うん。めちゃくちゃかわいかった」
唯一タッチャンの彼女をプリクラだが見たことのあるノブちんが、目を少し細めながらヨシの密告内容を
肯定した。
その仕草に、見とれてしまっていたことがばれないように。思い切り声を張り上げる。
「あー、もう!なしてさなしてさ!見してくれたっていいしょや!!タッチャンのケチ野郎!!」
助手席のシートを後ろからこれでもかと揺らし、タッチャンにオネダリする。
しかしこちらを無視し、タッチャンは先ほどから携帯をカチカチやっていた。
私がドイツに行く前はPHSが主流だったのに、いつの間にか携帯に世代交代している。
携帯の側面で、銀色のミッキーが笑いながら揺れていた。
「無視したね?この元木を無視してしまうんだね?君は。そういう薄情な男だったんだね?」
えいやっとレバーを引いてシートをいきなり倒す。
べちっと携帯がタッチャンの顔に勢いよくあたった。
「あ、ごめん」
おいおいとノブちんが言う前に、顔面を押さえたタッチャンが起き上がり、こちらを向いてくる。
「お前な!ふざけんなよ!!」
「北山君も往生際悪いよね」
言いながら、モコモコと、煙の輪を吐き出すヨシ。
「うるせーな!見せたくねーもんは見せたくねーんだよ!!」
「お前ら、いい加減にしとけよ?この車、中古だけどまだ3年ローン残ってんだぞ?壊したら弁償な」
ノブちんの静かな渇で、車内は平穏を取り戻す。
確かに、落ち着いたのかもしれない。
前は、こんなものでは済まされなかった。とてつもなく恐ろしかった。
札幌ドームが見えるということは、もう北広島を抜けた頃だ。
あと20分もしないうちに、姉と2人で住んでいたアパートに着く。
市電通りの、2LDKに。
白石藻岩通から、市電を追い越して、石山通に入る。
右折すると見えてくる、ろいず珈琲。
かつやはよく学校帰りにヨシと寄った。
みよしののぎょうざも、週に1回は食べていた。
ツルハも健在のようだ。
石山通は、変わらずまっすぐ、伸びている。
懐かしい歩道橋も、小学校も、一年前と同じ。
歩道橋を左折して、3つ目の交差点の左側に、こちらも変わらない私と姉のアパートが見えるはず。
姉の帰りはいつも遅かった。帰ってこない日もあった。
今日もきっと、まだ姉は帰ってきていないだろうと、確信していた。
いてもいなくても、どうせ話さない。
むしろいない方が友達を呼べるから都合がいい。
そう思い始めたのはいつ頃だったろうか。
寂しく思わなくなったのは、いつ頃からだったろうか。


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