

ちゃぶ台の上に無造作に置かれたビールの空き缶の山をボケッと見ていると、中に入ってきたタッチャン
に背中を踏まれてしまった。
「ぐえ~っ」
「あ、わり」
「ちょちょちょちょ、何かい?さっきの報復かい?」
ギロリと睨まれ、死んだふりをする。
久しぶりだからと、酒が進んでいた。
おばちゃんにもらったビールもそろそろ底をつこうとしている。
ちゃぶ台に転がっている空き缶を数えてみると、全部で16。
恐らく冷蔵庫にはあと2缶しか残っていないだろう。
帰ってきた時、冷蔵庫の中に、酒らしきものはなかったのだから。
足りる気がしない。
このメンバーになると、ついつい飲みすぎてしまう。
全員がものすごいスピードで、まるで競うように杯を空けてしまう。
冷蔵庫を開ける音と、タッチャンの声。
「おい、もうすぐなくなんぞ。岩崎さあ、金貸してくんね?俺酒買ってくるわ」
その台詞で、ヨシの表情が恐ろしいほど悪人の笑顔へと変わって行く。
「あ、いいよいいよ?あたし出すよ?ズブロッカとオレンジジュース買ってきて」
「…プリクラなら今持ってねーけど。てか見せねーけど」
タッチャンの無情な返事に、2人してずっこける。
「ややややや!タッチャン!そこは普通暗黙の了解で家に一旦戻り“ははあ、岩崎様、このちっこいプリク
ラに写ってるめんこいオナゴがオイラの彼女でやんす”とかなんとか献上するでしょう!?何?何早速見
せません宣言しちゃってるわけ!?萎える!萎えるわ~!」
「プリクラがオプションでつかないなら実費でお酒買ってきてよね」
「うっせーな!金出しゃいんだろ!?お前ら一体何なんだよ!」
荒々しくアパートを後にするタッチャンを見送りながら、漬物に手を伸ばす。
シャキシャキと歯ごたえがいい白菜。
おばちゃんは漬物の名人。
かぼちゃ漬や粕漬なんかも絶品なので、新作が登場する年明けには、タッパ持参でタッチャンの家に行っ
たものだ。
「な~してタッチャンはあんなに彼女見せたがらないのさ?なんかあんのかい?」
「どうせあたし達に色々言われるのが嫌なんでしょ。ほんとつまんない」
「ダハハハハ!なんまダサいわ!あのシャイボーイめ!」
「シャイボーイって!ちょっと元木やめてよ!」
もしその場にタッチャンがいたら、顔を真っ赤にして怒り出すだろう。
その表情を想像して、2人して大声で笑ってしまう。
「そういえば、元木はドイツで何にもそういうのなかったの?金髪の彼氏とか出来なかったわけ?」
聞かれて少しドキリとする。
ちゃぶ台に置いてあるタバコの箱からまた1本抜き取り、火をつけた。
いつもは喉で止める煙を、胃まで届くようにゆっくり吸い込み、ため息のように吐く。
「…や~、ドイツ組の連中はそれこそ色々あったみたいだけど、あたしはさっぱりだったわ。てかね、白人
って、内股っていうかね?なんかほら、そうそう、X脚ってやつ?結構いてさ。あたしあれ、駄目だわ。生理
的に無理みたいでね、もうね、1回そういうの意識してしまったら、ゲルマン系皆さん駄目になってしまって
いたわけよ。んだもんで、パツキンの彼氏なんて出来るわけもなかったんですよ岩崎さん」
同じ留学機構からドイツに行ったのは、33人。
そのうち、同じ場所で語学研修を受けた16人とは、ドイツ語の練習も兼ねて手紙や電話のやり取りをしてい
たが、その内容のほとんどは、現地でできた恋人自慢で、読むのも聞くのもゲンナリとしたものだ。
「北山君もつまんないけど、元木も相当だね」
バッサリと切り捨てられる。
唸りながらくわえタバコのまま、仰向けでカーペットに転がった。
きっとその場に姉がいたら
「火事になるからやめてくれる?あんた1人が死ぬならいいけど巻き添えは嫌」
と言われるだろう。
天井には、白い壁紙が貼られている。僅かだが不規則に凹凸がある、白い壁紙。
触れば分かるかもしれないが、天井だと距離がありすぎて、見ただけでは凹凸があるのかどうか分から
ない。ただ白いだけ。
勝手に自分と重ねて見てしまう。
ドイツに1年間行ったという事実はあっても、その1年の間にあった細かなことは、ここからでは見えない
天井の凹凸のようなものかもしれない、と。
空気の動く気配に、買い物袋のガサガサという音。
タッチャンが買出しを終えて帰ってきたのだろう。
起き上がり、灰皿にタバコを押し付ける。
視線を感じ顔を上げると、ヨシがこちらを見ていた。
「うぃー。したっけ第2回戦いきますかね。今日泊まってくんでしょ?」
「うんもう帰るのめんどくさいし」
「近いくせに」
タッチャンほどではないが、ヨシの家も徒歩10分もかからない場所にある。
きっと朝まで飲み続けるのだろうと思いながら、ドタドタうるさいタッチャンの足音を待った。


※ 未成年の飲酒・喫煙は、法律で禁止されています!
※めんこい=かわいい