hirota・1

「Wie geht`s dir?(元気かい?)」

「Alles gut, danke. Aber warum?(とても元気ですが、何かありましたか?)」

「Na Ja, Du aussiesst so‘n bisschen ungesund .(いや、少し顔色が悪いからね)」

「Finden Sie?Aber Ich habe so viel gegessen, und Sie haben es gesehen,oder?

(そうですか?でも沢山お料理いただいたのを見ていらしたでしょう?)」

「Das...schtimmt.OK, dir geht es gut.(そう…だな、よし、君は元気ということにしよう)」

Vielen Dank fuer die lieben Genesungswuensche. Bitte machen Sie sich keine Sorgen.

(お気遣い感謝いたします。もう心配はご無用ですよ?)」

そう言ってニコリと微笑むと、隣の男性はほっ、と胸をなでおろすような仕草をし、息を吐いた。

近寄ってきた七三分けの日本人男性に笑顔を見せる。

真っ白でふさふさの襟足まである髪に、もじゃもじゃの髭。

まるでサンタクロースのようなその人は、その日初めて会ったばかりなのに、妙に安心感がある。

 

ボン出身のサンタクロースはミヒャエル・カウフマンという名前で、どうやらクラッシック界ではそれなりに名

の知れた指揮者らしい。

先ほどから挨拶に来る人が絶えない。

そんな有名人の隣で、シンプルで上品なサックワンピースに、完全に着られている分は、ある意味、隣に

いるサンタクロースと同じくらい人目をひいているだろう。

首にストールのように巻いているワンピースとセットのボウタイがやけにむずがゆい。

さっきから丁度いい隙間を首とボウタイの間に作ろうとしては失敗していた。

スカートなんてものは普段全く着ることがないので、膝下が気持ち悪い。

さらにはき慣れていない高いピンヒールは、ふかふかの絨毯に埋まってバランスを崩してしまいそうで怖い。

 

突き刺さってくる視線。

あのカウフマンの隣に立っているガキは誰だ?という視線。

気にせず料理を楽しもう、ということで、立食の利点を活かし、好きなものをたらふく食べていた。

送られる視線は無視して。

その中でも、明らかに個人的感情を放っている視線には、殊更気づかぬフリをしていた

 

・・・

 

「今夜暇?フレンチレストランで立食パーティーがあるんだけど、1人分空きがあるらしいから、あんたも

い?」

帰国して4日が経ち、ようやく時差ぼけも取れてきた日の朝、作り溜めておいたアイスティーを一気飲みして

いる最中に、姉がそんなことを言って来た。

「どこの?」と言ったつもりが、ゴクゴクしているせいで「ほほの?」としか聞こえないだろう。それにほくそ笑

んでいると、とんでもない返しがきた。

「“hirota”」

「ん…ぶええぇっ!?」

「…ちょっと。床。後でちゃんと掃除しなさいよ」

飲みかけのアイスティーがこぼれるのも構わずに叫ぶと、本来なら胃袋へと吸収されるはずのアイスティ

ーが床へボタボタと垂れてしまった。

「やややややややや!!!したってしたって、普通、驚くでしょう!?あの“hirota”ですよ!?そんなさらっ

と“今日、晩御飯、ほっかほっか亭でもいい?”みたいな気安さで言うもんだから、一瞬分かんなかったわ!

あえてもっかい言わしてもらうとすれば、あの、”hirota”ですよ!?札幌でフレンチといえば”hirota”!!!

”hirota”グループの第一号店にして唯一”hirota”の屋号を掲げる超有名店ですよ!?そんな誰しもご存知

の店で、よもや、り、立食パーティーですと!?なんて失礼極まりないことを!!!そこは!そこは落ち着

いて、テーブルで頂くべきでないの!?あんた達、ちょっと、馬鹿でないの!?勿体無いとは思わないんか

い!?」

「したらあんたは欠席で…」

「やややややややや、誰も出席しないなんて言ってないでしょう?ただ、どうせ行くなら立食でなくてさ、きち

んとコースで、心行くまで堪能さしていただきたいっていう、ね?この、元木さんのグルメな心情をね?すこ

ーしでも理解していただきたいと思ったわけですよ?いやあ、それにしてもなんにしても、あの”hirota”でフレ

ンチご馳走していただけるなんて、夢のようですよねえ、はっはっはっは」

 

どうせ冷ややかな目で見られているだろう事は分かっていたが、興奮しすぎて止まらなかった。

札幌に住んでいるのなら、1度は行ってみたいと思っていたレストラン。

手ごろな値段で本格的なフレンチが楽しめるようにと、本場三ツ星で働いていた現オーナーが比較的食材の

安価な北海道からスタートしてから、その勢いは留まるところを知らず、あっという間に全国展開するように

なった。現在は、札幌のほか、福岡、神戸、横浜、仙台に店舗を出している。

手ごろな値段といっても、夜は1番値段の安いコースで6000円、高いものでは25000円のコースなんていう

のもあるので、とてもとても貧乏な高校生が手を出せる場所ではない。

しかし、高が大になるくらいで、同じ学生という立場には変わりないくせに、気軽な感じで”hirota”の名を口に

するとは、いつの間に姉はそんなに金持ちになったのだろうか。

 

「あのね、誰もタダで食べていいなんて言ってないでしょう?空いたのは正規通訳の人の分。今夜はミヒャエ

ル・カウフマンの通訳してもらうから。6時スタートだから、それまでに服とか揃えに行くからね。早く支度して」

「通訳?ミヒャエル・カウフマン?服?」

「ドイツ語の通訳。PMFで来日してるドイツ出身の指揮者。取材陣も集まるパーティーに通訳として参加して

トレーナーなんて末代までの恥」

簡潔にバババと答える姉だが、イマイチ状況がつかめない。

「なんで指揮者のパーティーに姉ちゃんが行くのさ?」

「和真が招待されてるからそのパートナーとしていくの。感謝しなさいよ?急性胃腸炎で通訳が倒れたって

聞いて真っ先に楓を通訳に推薦してくれたのは和真なんだからね?」

「?佐々木…やや、迫田さんってなに、何者?」

「東京芸大生でクラリネット奏者。日本ではわりと有名だけど…そうよね、楓は知るわけないわよね」

 

姉の嫌味は全く聞こえていなかった。

佐々木健介が蝶ネクタイでクラリネットを吹いている姿を想像して、盛大に噴出していた。 

↓クリックいただけるとありがたいです↓

    

 

                                      BACK TOP NOVELS TOP HOME NEXT