3年生-夏-2

「そういえば、井上さん元気?」

いつからだったろうか。

修兄から加奈の調子を聞かれるようになって、もう大分経つ。

白い皿のなかは、千切りにされた青じそが数本に、少し赤みを帯びた、繊維状のツナ。

空腹だった。

ものの十分としないうちに、食べ終わってしまっていた。

修兄もそうなのだろう。

皿を通路側に寄せて、今は水を手にしている。

それに倣い、私も水へと手を伸ばし、一口飲んでみる。

融けてしまった氷の味だろうか、かすかに感じる、冷蔵庫だか、冷凍庫だかの匂い。

 

「元気だけど大変そうださ」

グラスをくるくる回しながら、ここ最近の加奈を思う。

融けて丸く、小さくなった氷が、グラスに当たって涼しげな音を出す。

「なんかあったのか?」

修兄の顔が少し曇る。

「なんかね、ここ2ヶ月くらいで急に人気者になっちゃって、あしらうのに疲れてるみたい。特にサッカー部の1年生がしつこいんだよね」

実際、その1年生は強烈だった。

 

 

「井上先輩!」

中間テストも終わり、運動会も春季大会も終わり、ほっと一息ついた6月の半ば。

加奈と職員室に日誌を提出し、教室へと戻る廊下で、背後から声がかかった。

振り返れば、ひろくんより少しガタイがいいくらいの男の子。

まだ詰襟が新しいし、見たことのない顔だったので、1年生だろうと思った。

加奈を呼び止めたその男子は、ものすごく真剣な顔。

私のことなど眼中にないといった感じで、加奈をじっと見つめている。

隣の友人はといえば、あからさまなため息。

 

「しつこい男は嫌われるわよ。覚えておきなさいね」

あまりにもあっさりと、教室へと向かって歩いていく。

「俺、本当に井上先輩が好きなんです!先輩に好きな人がいたって、関係ないですから!」

加奈の背中に叫んだ声は、まだ変声期を迎えたばかりの、少し高くて、少しかすれたもの。

練習を始めるのが早い野球部。

開いた窓から純ちゃんの声が良く聞こえる、ある日の放課後。

 

「加奈、好きな人いたの!?」

先に教室についていた加奈に詰め寄った。

声を荒げながら顔を覗き込めば、なんとも苦々しい顔の加奈。

「知らないわよ。堀君が勝手に勘違いしてるだけでしょう?」

「…そうなの?」

「…何よ」

「いやさ、加奈のそういう話って聞かないなと思って」

「好きな人なんていないわよ。今までいたこともないわ。これで満足?」

「まあ、わかったけど…何でそんなにイラついてるの?」

 

大きなため息をつき、椅子にもたれかかるのを見ながら、自分も前の席の椅子を引っ張り、加奈の正面に座る。

「ごめん。最近ああいうのが多くて、正直参ってたのよね」

「ええ!?ああいうのって、その、なに、あの、こ、告白とか、そういうやつ?」

「もっと生ぬるい感じよ。好きな人いるんですか、とか、応援してます、とかね。勘弁してほしいわ」

「でも、その、堀君はそういう感じには見えなかったけど」

「彼は…そうね。言われたわよ、はっきりと。で、あたしもはっきり断ったんだけど、しつこいのなんのって」

そう言いながら窓の外を見る加奈は、お世辞抜きでかわいい。

私の立場からすれば、やっと加奈のかわいさが世間に認められ始めたのだと思うと、誇らしくてたまらないのだが、本人はそうでもないらしい。

「そっか。大変なんだね、そういうのって」

少しの沈黙。

窓の外はまだ青空。

教室にはもう誰もいない。

中途半端に放って置かれているクリーム色のカーテンが、窓から舞込んだ風に、ふうわりと揺れる。

「あたし、そういうの今はいらないのよね。好きな人が出来たら、ちゃんと杏に言うから、安心して」

加奈の横顔を見ながら、先ほどのことを思い出していた。

 

 

「それでね、加奈の後を追いかけようと思ったら、堀君に呼び止められて」

すっかり氷が融けてしまったお冷。

まわりについている水滴で、指先が濡れているのを感じながら、修兄を見る。

「それで聞かれたの、加奈の好きな人が誰か知りませんかって。どうしてそう思うのって聞いたのね。そしたら…」

「最近いきなり綺麗になったって言ってた?」

思わずまじまじと修兄を見てしまう。

高校の時から使っている、トランスコンチネンツの財布を取り出す姿を、じっと、見つめてしまう。

「ん?どした?」

「な、なんで分かったの!?」

身を乗り出して修兄に聞くと、苦笑しながら言われる。

「キョウ達くらいの年代の女の子ってさ、急に変わるんだよ。いきなり綺麗になんの。それに男はびっくりしてさ。しかも単純だから、好きな奴でもいるのかって、焦るもんだよ。俺もあったしね」

苦笑しながら言う修兄

だけど、修兄が焦っている姿なんて、全く想像も出来なかった。

 

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