「杏~!お弁当出来たから 準備して!」
台所から聞こえるのは母の声。
扇風機の前から渋々離れて5人分のお弁当を受け取り、長靴を履く。
玄関を開ければ、途端にボリュームが上がる蝉の音。
騒がしい中を、お弁当が入ったトートバッグを抱えながら。
フロ釜のように蒸し暑くなった車の中へと乗り込んだ。
すぐに運転席のドアが開 き、大きな水筒を持った母も滑り込む。
あー、あっついねー今日も。
言葉と同時に全ての窓が 全開になる。
小麦の収穫が終わり、キャベツの種蒔き真っ最中のこの時期は、我が家の一年で一番忙しい。
勝兄はもちろん、休み中の修兄や私も手伝うことになっていた。
午前中に勉強を終え、昼からは母と共に畑に合流する。
部活を引退してからは、 これが日常。
短い北海道の夏。
焦るように過ぎていく夏を、家族総出で迎え撃つ光景は、ここら辺では決して珍しいことではない。
アスファルトから照り返す日差しがまぶしい。
家にある車は3台。
軽トラにファミリーワゴンに今、母と乗っている軽自動車。
ファミリーワゴンにはエアコンがついているが、軽トラと軽自動車には申し訳程度の空調しかついていない。
特にこの軽自動車は、壁が薄いせいで夏は暑く、冬は寒い。
ほとんど上半身を助手席の窓からだして風を受けていた。
「危ないから止めなさいって~」
注意した母を見れば、自分も右手を窓に出している。
「お母さんの方が危ないでしょ。対向車来たらどうすんの?」
ぼぼぼぼと風の音が入り込んでうるさいものだから、必然的に大きな声で話していた。
「来ない来ない。ほら、 ぜーんぜん来てないっしょ?」
言われて前を見れば、真っ直ぐ伸びた、夏の道。
確かに対向車などいな かった。
陽炎でゆらゆらと100メートルほど先の景色が揺れているだけ。
得意げに右手をヒラヒラ させる母は、今年の夏で51になった。
すぐそこに迫ってきた畑で、勝兄、修兄と仕事をする父も、もう56。
同級生の両親より、年齢的にも見た目にも、圧倒的に年を重ねているのに、2人とも言動は若い。
「おぉ~もう昼か!いんやー暑いなあしっかし!杏~、麦茶くれ!」
他の兄弟と同じく、末の娘には大甘の父が、帽子と頭の間に入れていたタオルを抜きとりながらこちらにやってくる。
防風林の日陰の前、年季の入ったビニールシートにどさっと腰かけ、麦茶を一気飲みする姿は、贔屓目なしで若々しいと思う。
隣でへばっている修兄より余程元気だ。
持ってきたお弁当を広げ ていると、ワゴンRが一台やってきた。
純ちゃんのお母さん。勝兄的に言えば、”りっちゃん”。
父と母が立ち上がり、ワ ゴンRの方へと歩いていく。
「あれー、ごめんねえ、家族水入らずの昼時に」
「いやいやなんもいいんだわ。どうしたのさ?」
なんて言いながら、親軍団は車のそばで立ち話を始めてしまった。
「修兄、大丈夫?ご飯食べられる?」
「ありがとう、キョウ、大丈夫だよ。それにしても、札幌行って体鈍ったかもなあ」
確かに勝兄と父から比べたら、修兄はずっと白くて細い。
「なんも、札幌で遊んでばっかしなんだべ?こんな細っこい体んなっちまってさぁ、ちゃんと食ってんのかあ?」
ニヤニヤ笑いながら勢いよくお弁当を平らげていく勝兄に、修兄が苦笑を見せる。
「結構食べてるつもりなんだけどね、なかなか自炊って難しいわ」
「まあな、俺も帯広ん時は結構苦労したからなぁ」
そういえば、勝兄も帯広 から江別に帰ってきた時は、今より幾分ヒョロっとしていた。
1人暮らしとは、そうも大変なものなのだろうか。
ずっと家族に囲まれて生活している私には、いまいち想像がつかない。
今度札幌にある修兄の部屋に見学に行こうかしらと思いながら、お弁当のザンギをつつく。
母 のザンギは濃い味付けが特徴だ。
香ばしい醤油とにんにくの香りが、鮭のおにぎりによく合う。
「杏、ザンギ食いすぎでないか?兄ちゃんまだ3つしか食ってねえのに!」
いい気分を害され、思わずむっとしてしまう。
「違うよ!勝兄はもう5つも食べてるから駄目だよ!ねえ、修兄も勝兄が一気に3つも食べたの見てたでしょ!?」
「勝兄、どんだけ食い意地はってんの」
修兄がさっきの仕返しとばかりに追い討ちをかけてくれる。
「なんもいんでねーか、 腹減ってんだよ。おい、修、お前のザンギ一個よこせや」
「駄目ー!!!修兄はザンギで疲れを取るの!勝兄は糠漬けにしなさい!」
「なんだなんだ、えっらいエコヒイキ…いでっ!」
言い終える前に、勝兄の上にゴスンとバッグが乗せられた。
「ちょっと!何なっさけないことしてんのさ!全く意地汚いったらありゃしない!!」
きっと勝兄をここまでやり込められるのは長女の柚姉と、この人しかいないだろう。
「由比ちゃん!」
「杏、修も、ごめん ねぇ?あたしの教育がなってないわ。それにしても修は久しぶりに見たらなんだか痩せちゃって。ちゃんと食べてるかい?」
「はは、うん結構元気にやってるよ。由比ちゃんは絶好調みたいだね?」
「あったりまえさぁ!勉強できるのはいいことだけど、なんにしても体が資本なんだからね?」
久しぶりに会う2人はどちらも嬉しそうだ。
こういう光景を見ると、 本当に、もう由比ちゃんは家族の一員になっている。
「由比~!いってえなこのやろ!手加減しれってぇ」
「ああそう、旨煮いらないんだ」
「旨煮!?おぉ、そいつは…!」
待ってましたとばかりに食べ始めた勝兄を尻目に、由比ちゃんがビニールシートに腰を下ろす。
麦茶を飲みながら修兄と世間話をする由比ちゃんに、むごむご言いながら勝兄が話しかけた。
「それで由比、お前、車なの?」
ううん、と。
首を横に振った由比ちゃん。
「さっき律子おばさんがうちにもきてね、乗せてきてもらったんだわ。なんだか春の長雨のせいでさ、ここら辺はどこもあんまり調子よくないみたいなんだよね。離農考えてるとこがあるとかなんとかって。今晩集まるらしいんだけど、勝はどうするのかと思ってさ、差し入れがてら寄ってみたんだ」
「あー…。青年部の方でも集まろうと思ってたからなあ。いっそのこと合流させてもらうべか」
「そしたら律子おばさんに話しとくわ。ああ、あっちも話終わったみたいだね。あたしも家の手伝いあるからそろそろ行くわ。修、しっかりやんなさいよ」
慌しく律子おばちゃんと帰っていく由比ちゃんを横目に、おにぎりを咀嚼していた修兄が、勝兄にたずねる。
「今年の青年部って、勝兄入れて何人?」
「…23だな」
「…そうなんだ」
なんだか機嫌が悪そうな勝兄に、それきり何も話さなくなった修兄。
ビニールシートに戻ってきた両親の様子も、どことなく落ち着かない。
わけの分からない私は、 そんな家族の様子をただ見ているだけだった。
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